石原信雄氏 1/2 

 

>春秋  >自治事務次官を経て7代の内閣で官房副長官を務めた石原信雄さんの話を聞く機会があった… >2018/12/28 10:31 >西日本新聞 > Facebook >Twitter >はてなブックマーク

> 自治事務次官を経て7代の内閣で官房副長官を務めた石原信雄さんの話を聞く機会があった。 >「官僚の中の官僚」は、最近の政治と官僚の関係について「飛躍的に首相官邸の力が強くなった」と言う  

 

政治家が政治力を飛躍的に強く発揮するようになったのですね。   

 

>▼かつては「省益あって国益なし」といわれるほど官僚が幅を利かせていた。  

 

それは、縦社会 (序列社会・上下社会) の弊害によるものですね。   

 

>省庁は権限争いに明け暮れ、政治家は役人の“操り人形”とも。

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

>政官業の癒着も目に余った。>国のかじ取りを「政治主導」に改めようと、省庁の幹部人事を官邸が決める内閣人事局ができた  

 

政治家が、自己の政治哲学を持つことが必要ですね。無哲学・能天気では哲学は難しいですね。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>▼結果は。官僚の不祥事が後を絶たない昨今である。 >本紙社説が今年取り上げた主なものだけでも、もり・かけ問題、イラク日報隠し、文科省局長の「裏口入学」事件、文科事務次官が飲食接待で辞任、財務事務次官がセクハラ発言で辞任 >▼まだある。裁量労働制を巡り厚労省が、外国人実習生で法務省がずさん調査。 >多くの行政機関で障害者雇用水増し。>金融庁総務相に関する情報公開請求の内容を総務省に伝えた件も  

 

官僚の不祥事は沢山ありますね。

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

 

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老舗大国 

 

>日本を守るのに、右も左もない 

>361859 老舗大国日本の秘密~なぜ老舗が多いのか?~ >穴瀬博一 ( 31 会社員 ) 20/11/18 PM05 【印刷用へ】 

>以下引用(リンク)

>―――――――――――――――――――――――――――――――――

>世界中で創業200年以上の老舗といわれる会社が多い国はどこか御存知ですか?  > 答えは、日本。  > 約3000社の老舗が今も全国で営業を続けています。>2位のドイツが800社という数字をみれば桁違いに多い数です。>ちなみにアメリカさんは14社。>3000年の文明を誇る中国には3社しか存在してません。

 

中国は革命の国ですからね。何事も新しい方法が良い。だが、この考え自体が非常に古い。    

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。民主主義と自由といった諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。    

 

>では、なぜ日本にだけこれだけ多くの老舗が残ったのか? 

 

日本人は、人間序列に特別な関心を払っていますね。序列を見れば一も二も無く価値あるものと評価します。’万世一系天皇と言ったようなものか。序列観念はわが国の国体の基礎をなしている。             

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって全然気にならないことである。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を意識している。だから、自己の所属する序列に帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自己の序列に対する貢献を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが人生の楽しみである。 

 

(略)

 

 

 

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カマラ・ハリス氏 

 

>361828 副大統領カマラ・ハリスの欺瞞性  >山澤貴志 ( 55 ITコンサル ) 20/11/17 AM01 【印刷用へ】 

>バイデン政権の副大統領として、カマラ・ハリスが注目を集めている。 >その出自は、女性運動、黒人解放運動。 >リンク より引用

> 全米初の黒人女性大学生の交流団体「アルファ・カッパ・アルファ・ソロリティ」や、アフリカ系アメリカ人コミュニティーの強化を目的とするボランティア組織「The Links, Incorporated」などのメンバーになることで、ハリス議員は黒人に政治的影響力を与えるために構築されてきたアメリカの制度の中に自ら進んで参加してきた。 

 

自主性のある人ですね。   

 

>しかし、民主主義のリーダーというのは表の顔でしかない。 >リンク より引用

> >ハリスはカリフォルニア州オークランド生まれ。>>父親はジャマイカ出身で、スタンフォード大学で経済学の教授をしていた人物。  

 

先祖は奴隷の身分からの出発ですね。   

 

>>母親はインドからアメリカへ移り住んだのだが、生家はバラモン階級、つまりカーストの最上位に属し、インド政府高官を輩出している。  

 

バラモン階級のインド人はアメリカに移民したがりますね。最上位でも何か祖国に不満でもあるのでしょうかね。これが日本人であれば、貧乏人であってもアメリカに移民したいとは思いませんね。   

 

>>インドのデリー大学を出た後、アメリカではカリフォルニア大学バークレー校で栄養学と内分泌学で博士号を取得した。 

 

博士号取得とは努力の賜物ですね。   

 

>>カリフォルニア大学で夫妻は知り合っている。  

 

学者同志の結びつきですね。珍しいことではないですね。   

 

>>彼女は同大学の動物学科の癌研究所で研究を続け、後に乳癌大統領特別委員会に加わった。 

 

彼女は新世界での成功者ですね。

 

> >それに対し、カマラ・ハリスは法律の世界へ進む。>>2004年1月から11年1月までサンフランシスコ第27区検事を、また11年1月から17年1月までカリフォルニア州司法長官を務めたのだが、エリート一家の出身ということもあり、社会的な弱者には厳しかった。

 

カマラは育ちに影響されたのでしょうね。  

 

>>その当時のことを民主党の大統領候補者選びに参加していた タルシ・ガッバード下院議員に批判されている。

 

生身の人間は、なかなか無謬性を発揮できませんね。候補者選びは、清濁併せ呑むことになりますね。中庸の徳を如何に発揮するかが候補者選びの見せどころですね。        

 

> >州司法長官時代のカマラは人びとを刑務所へ入れることに熱心で、不登校の子どもの親も刑務所へ送り込んでいたが、それ以上に批判されているのはケビン・クーパーという死刑囚に対する姿勢だ。 

 

選挙となれば相手の粗探しが政策論争と同程度に重要な関心事となりますね。何しろ、相手を倒すことが自分を選ばせる道に通じているのですから。

 

> >この人物は1983年に引き起こされた殺人事件で有罪となり、2004年2月10日に死刑が執行されることになっていた。>>逮捕されたときから彼は無罪を主張、DNAの検査をするように嘆願していたが、検事時代も州司法長官時代もカマラは拒否している。 

 

それは残念なことですね。  

 

>>主張を変えたのは大統領選挙が視野に入り始めた2018年である。

 

過ちを改めることに何の躊躇もいりませんね。    .

 

>>こうした経歴のカマラを副大統領候補に選んだことから、バイデン、あるいは民主党の幹部は大統領選挙で敗北する道を選んだのではないかと勘ぐる人がいた。

 

考え (非現実) は人様々ですからね。他の候補者たちもそれぞれ経歴があるでしょうね。    

 

>マスコミは民主主義の騎手と持ち上げるが、その実態はカースト主義者であるというのは笑えない話であるが、所詮、民主主義というのはそのような欺瞞観念であるということを知っておくべきである。 

 

相手を褒めて政治成果を上げさせるのが良策ですね。

インド人がカースト主義者であることは見ても分かりますね。彼らは外国においても印度服を愛用して手放しませんね。衣装を見れば身分がわかる。だから、日本人の民族衣装とは愛着の度合いが違います。  

政治家は人気商売ですからね。学者稼業ではありません。我々常人の判断とは少々違っているでしょうね。      

 

 

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敗戦利得者 2/2  

 

>GHQによる、この日本国民に打ち込まれた「楔」は当のGHQが日本から引いたあとも抜けることなく、延々と日本人の精神に残ったままです。>未だに「日本は戦犯国家」だと勝手に思い込んでいる日本人が多いのではないでしょうか?

 

歴史修正主義は批判の対象になりますね。   

 

> 大東亜戦争は太平洋戦争と言い換えられ、戦争の真実を語ることもできず、日本側の弁明は一切許されない。 

 

わが国は力による決着を切に望んでいましたからね。   

 

>ましてや、戦勝国であるアメリカや中華民国らの批判などもってのほか。>更には、第三国である朝鮮についても同様でした。  

 

勝てば官軍ですね。明治政府の態度を見ればわかります。  

 

> 周到なことに、GHQは、戦前の日本の良き伝統や当時の国際情勢を鋭く分析した日本の優良書物7,000冊を秘密裏に焚書しています。

 

力による決着を望めば、焚書坑儒に行き着きますね。  

 

> 平成から令和の御世となり、『古事記』や『日本書紀』に関する本などは読まれ親しまれるようになりましたが、昭和の時代は、『古事記』に記載があるような日本の神話について、公の場などで語っただけで「右翼だ!」とほぼ間違いなく言われたほどでした。  

 

それは、右翼アレルギーでしょうね。        

 

>この三位一体に巣食う「敗戦利得者」たちが日本人の美しい歴史を消し、戦犯国家としての贖罪意識を今も与え続けています。

 

力は正義ですね。 Might is right.

 

> 彼ら「敗戦利得者」は基本的に「日本は邪悪な国家なのだ」という考えですから、中国の側からすれば、これほど御しやすい相手は他にいません。>これが、中国からの歴史侵略を易易と受け入れてしまう土壌となっているのです。

 

事大主義 (強大なものに仕えること) というものですかね。  

 

> 日本は島国であったためか、隣人への気遣いを大切にする国です。>これまで、外国人との交流は少なく、そのため諸外国の人に比べると、自分の意見を押し通さずに、相手の気持ちを慮ってしまう習慣があります。

 

そうですね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」    

 

>まず、相手に気に入られようとしてしまうそんな傾向を持つ国民性です。 

 

なれ合いですね。なあなあ主義でしょう。

 

>まずは自分が譲って、そして最後は同じ人間同士、わかりあえるという、性善説的「幻想」が災いしています。

 

そうですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。  

 

>GHQはとっくの昔にこの島を去り、我が国は「主権国家」として、独立を回復したはずなのに、「日本が悪い国なのだ」と常に内外からオルグされ、心からそれが正しい歴史認識なのだ、と考えてしまったり、挙げ句の果てには、なぜか自らの母国を貶めるような言動で、「反日」でいることが「利得」となるような人たちがこの日本国にはまだまだたくさん居るのです。

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供の話のようなものである。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。

 

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敗戦利得者 1/2  

 

>361807 日本は中国のもの? 祖国を中共に売る「敗戦利得者」たちの正体 >古越拓哉 ( 27 会社員 ) 20/11/16 PM00

>日本は中国のもの? 祖国を中共に売る「敗戦利得者」たちの正体 >リンク > より転載。

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>日本が中国から“目に見えぬ侵略”をされる4つの土壌

> 日本は既に実態として中国共産党から「目に見えぬ侵略」をされています。 >なので、まず、日本がなぜ「目に見えぬ侵略」を受けるようになったのか?その理由を考えてみる必要があります。 >侵略を許してしまう・受けてしまう…その受け皿、土壌があるのです。

>その1 共産主義

> 戦前の日本では「治安維持法」という法律を制定しなければならないほど明確に「共産主義の脅威」というものがありました。 

 

日本人は個人主義自由主義を理解できないので、兎角、全体主義的な傾向に惹かれますね。

 

>それは、現代を生きる現在の我々の感覚ではなかなか実感としてわかりにくいものですが、私有財産を否定し、日本の国体の変革すら狙う…そんな思想に基づいた組織が共産党でした。 

 

わが国の制度のありかたは、共産中国よりも共産的であると評する人もいますね。うたい文句だけでは現実は変えられないようですね。      

 

>そして、戦後になっても、様々な事情から共産主義シンパや隠れマスクスレーニン主義者たちはいわゆる「敗戦利得者」として、戦後から現在に至るまでしぶとく生き残り、その系譜に連なる人達が、一定の社会的影響力をもっていることは、最近の「日本学術会議」問題や、いわゆる「千人計画」の件において、図らずも明らかになったことは、皆さんもご存知だろうと思います。

 

中国政府は共産主義というよりも覇権主義ですね。中華思想の虜になっていますね。  

 

>その2 公職追放

>1946(昭和21)年1月よりGHQから日本政府への指令で「公職追放」が始まりました。> 当時首相候補だった鳩山一郎ですら追放されました。 

 

負け戦に関係した主だった人は追放されましたね。

 

>政治家、公務員だけでなく、学校等の教育界やマスコミ、言論界からも保守の有力者20万人余りが追放されました。 

 

昭和御一新ですね。   

 

>そして、代わりに入り込んだのは、共産主義者たちや反日的活動をして、戦前評価されていなかった者、加えて、思想を転向した者たちです。>彼らがみな、前述のいわゆる「敗戦利得者」となりました。

 

反日の活動家は我が意を得たりでしたね。   

 

> 権力を握った人間は自分を否定しない同じ思想の者を後継に選ぶ。

 

そういう事になりますね。

 

>よって、現在でも、教育界とマスコミには脈々と反日的思想をもつ人脈が、「敗戦利得者」として跋扈し続けているわけです。 > 吉田茂が進めた講和条約、それはつまり、日本が独立を取り戻す、ということですが、なんと、これに反対していた国会議員たちがいました。>それが当時の社会党共産党やマスコミです。 

 

考え方にはいろいろありますからね。   

 

> 日本が独立したら損をするのは誰なのか?ということを冷静に考えてみて下さい。

>その3 東京裁判

> 極東軍事裁判」は1946(昭和21)年5月3日から始まります。>いわゆる「A級戦犯」7人の処刑など、この東京裁判の判決をもとにした「東京裁判史観」が戦後の日本人の思考回路と精神構造、そして、社会空間を支配しています。 

 

彼らは連合国にとらえられましたね。日本人は戦争の責任者を一人も出しませんでしたね。   

 

>この裁判は法的根拠のないでっち上げの裁判でしたが、「アメリカは正義で日本は悪だった」という刷り込みによる日本人の勝手な思い込みが、当時よりもむしろ日本が主権を回復した後、より一層影響力を及ぼすようになります。 

 

戦争は力ずくですからね。日本の主張が通れば戦争は不要でしたね。    

 

> 媚中派として名を馳せた、故・加藤紘一などは、無邪気だったのか、意図的だったのかは知りませんが、「日本は東京裁判を受け入れて国際社会に復帰した」などと発言し、世に大嘘を広めていた…というお粗末さです。

> 東京裁判当時の日本は占領されていたわけですから、「判決」それ自体は受け入れざるをえません。 

 

そうですね。   

 

>しかし、「裁判とそれに関わる歴史観」を承服したのか否か?となると話は全く別で、到底、「受け入れて」などはなかったわけです。

 

考えは人人により違いますからね。   

 

>その4 WGIP [War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画]

> GHQが、戦後、日本人に行った洗脳教育であり、「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」のことです。

 

日本人には罪がない。

日本人に意思がない。意思の無い人間には罪の意識がない。能動がなくて受動ばかりがあるから、加害者意識がなくて被害者意識ばかりがある。

ちょうど死刑執行人のようなものである。彼らは人が死んでも罪悪感は無い。彼らは頼まれ仕事をしただけであって、殺意という意思は持っていないからである。

GHQの宣伝計画は、’カエルの面に小便’ となった。   

 

 

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香港民主派議員  

 

>ニューストップ > 海外   > 中国   >台湾の話題 > 中国の話題 > 香港

>台湾「羊の皮を脱いだ狼」と中国を批判 香港民主派議員の資格剥奪受け >LINE共有ボタン >2020年11月12日 17時11分 >中央社フォーカス台湾   

>台湾「羊の皮を脱いだ狼」と中国を批判 香港民主派議員の資格剥奪受け   

 

オオカミと七ひきの子ヤギたち’ の話のようなものか。   

http://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=843150    

 

>写真拡大 (全2枚)

> 台北中央社)中国の全国人民代表大会全人代)常務委員会が11日、香港立法会(議会)の議員資格を定め、これに伴って民主派議員4人の資格が剥奪(はくだつ)された。

 

どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、中国にはほとんど存在しない。  

 

>これを受け、台湾で対中政策を所管する大陸委員会は、「羊の皮を脱いだ狼」に等しい行為で、香港の人々の権利を侵害するものだと北京当局を非難した。

 

台湾の人達には、’香港の次は台湾’ という危機感がありますね。  

 

>全人代常務委員会では、香港立法会の議員に中国や香港政府への忠誠心を求め、独立を支持したり中国政府の香港への権限行使を拒否すれば議員資格を失うとする方針が定められた。

 

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に旧態依然たる中国化政策を推し進めようとして傍若無人のふるまいをし、多大な圧力をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。かくして周辺諸国を中国化することに専心してやまない。外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

 

中華 (ちゅうか) [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]  

 

>大陸委員会は11日午後、書面でコメントを発表。

>北京当局は香港の言論の自由を奪い続け、香港立法会に異論を排除するワンマン体制を強要していると批判し、中国が掲げる「一国二制度」が民意を全く尊重していないことが証明されたと指摘した。

 

そうですね。問答無用の世界に引き戻されましたね。   

 

>その上で、現在の香港情勢には国際社会から高い関心が寄せられていると言及。  

 

そうですね。近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、これらを後に受け入れた日本を含むアジア国々では反発を呼ぶこともある。   

 

>当局がみだりに香港の人々の政治的権利や民主主義、自由に規制を加えることは、香港情勢の安定に役立たないばかりか、より大きな争議と批判を招き、香港の没落に最大の責任を負うことになるだろうと警告した。

 

そうですね。北京当局は、今なお覇者の時代に住んでいる。しかしこうした政治的権利や民主主義、自由などの諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。

我々日本人もアジアの隣人として中国に対する真摯な助言をする必要がありますね。無哲学・能天気より派生する政治音痴ではいられませんね。  

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。これは子供と同じ状態である。  

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個人にあるはずの個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。国際的に幅広い協力者が得られない。国際社会に貢献する度合いが限られている。

 

 

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ナッパー氏 

 

>20201114 756  >ロイター   

>[ワシントン 13日 ロイター] - ナッパー米国務副次官補(日本・韓国担当)は13日、日本と韓国に対し、中国政府による少数派イスラム系市民への対応や、香港や台湾を巡る動きで中国に反対するよう求めた。 [Marc E. Knapper]

 

日本・韓国の中国政府に対する意思表示は非常に重要ですね。イスラム系市民・香港・台湾に関して中国政府の対応に強く反対することが必要ですね。      

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国であります。覇者の物語は、中国人の愛読書となっています。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけているのが現実です。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作りました。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい状態にあります。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ないのでしょう。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることには望み薄ですね。

 

東夷 (とうい) [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     

南蛮 (なんばん) [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 

西戎 (せいじゅう) [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。・

北てき (ほくてき) [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

中華 (ちゅうか) [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]  

 

>ブルッキングス研究所シンクタンクが主催したオンラインイベントで、日本と韓国が中国と「非常に複雑で微妙な関係」を持っていることをワシントンは理解していると指摘。  

 

中国・韓国・日本は、同じ漢字圏に属していますからね。非常に複雑で微妙な関係にありますね。  

 

>「非常に重要な貿易関係やその他の関係があるという事実にかかわらず、私たちは皆、中国の不品行を目にすれば立ち上がって声を上げるべきだ」と訴えた。

 

そうですね。悪いことを悪いと指摘することは、真の友情の証ですね。   

 

>ナッパー氏は、米政府が日韓に中国を「切り捨てたり、封じ込めたり」するよう求めているわけではないとしながらも、「韓国や日本などが立ち上がって、これらのことを代弁してくれることを期待している」と述べた。

 

同感ですね。民主主義や自由などの諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。中国政府は覇者の世界に住んでいてはいけない。日韓は立ち上がってこのことを強く代弁すべきですね。アジア人は政治音痴ではいられない。

 

>また、「民主主義や自由を代表して発言する責任を受け入れることが、米国や韓国、日本のような国の責任だ」と強調した。

 

そうですね。米・韓・日 は、中国に対して不品行を強く非難すべきですね。民主主義と自由を代表して発言して責任ある態度を示すべきですね。      

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。責任のある態度を示さない。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

これは‘兎角、この世は無責任’ という事になるか。   

 

 

 

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