国力の下降

 

>【学歴・社歴のワナ】

>ある会合で一人のスポーツショップ経営者と会いました。 >初対面です。 >たまたま席が近くでしたので、名刺を出して挨拶をしました。

 

いつもの通りですね。

 

>ところが、相手の反応がよくありません。 >いくつか話題を変えながら会話を試みましたが、何だか興味がなさそうです。

 

それは、残念でしたね。

 

> 「へえ、そう」 > 「それで?」 > 「そんなことはないですよ」 > 会話がすぐに途切れてしまいます。 >しかも、口調がまるで上から目線。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。これは、重要なことですね。

‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断ができないと、日本語の日常会話にも差支えが出るほどであります。

その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下判断ができないと礼儀正しい日本人にもなれません。

‘人を見損なってはいけない’ という想いは、高じて強迫観念の域に達しています。ですから、緊張して肩がこる社会になります。日本人は、’頑張って’、’お疲れ様’ とお互いに声を掛け合っています。

 

>とてもスポーツショップの経営者とは思えません。 >商売をしている人なのですから、もう少しそれなりの応対が出来てもよさそうなものです。 >仕方なく、私は会話を続けることをやめました。

 

拘ることはありませんね。相手は、いくらでもいることですからね。

 

> 何か私に不満でもあったのでしょうか。会合が終わってから、知り合いの方に聞いてみました。 > 「あの人はどういう人なのですか。何か機嫌でも悪いのでしょうか」

>すると、 > 「ああ、あの人はいつもそんな感じだよ。某有名大学出だからね」 >と教えてくれました。

 

それは、よくある話ですね。

 

>そうか、頭の良い優秀な方でした。

 

彼は、暗記と受け売りの専門家かもしれませんね。

 

>とはいえ、社会人として、商売人として、あの対応の仕方はいただけません。 >もしかしたら、あの経営者は「学歴のワナ」に引っかかっているのかも。

 

わが国は、序列人間の住む社会です。明治維新の前は、身分 (生まれ) で序列が決まりました。明治以後は、学歴で序列を定め.ることになりました。生まれの良くない (下層無階級の) 野良犬のクロ (ノラクロ) でも、軍隊で出世 (序列昇進) ができることになりました。このようなことは、乱世でもなければありえない事でした。

日本人は、序列協力により民族の力を発揮してきました。移民して、序列のない社会に入ると、日本人は力を発揮できません。だから、彼らは ‘棄民’ になるのでしょう。

 

> 学歴の優れた人は、往々にしてその学歴にプライドを持っています。>すると、中には自分より学歴の劣る人を「下」に見てしまう人がいるのです。

 

それが、‘上と見るか・下と見るか’ の習慣ですね。世俗の上下判断に気を取られて、能力の判断が疎かになりますね。この傾向が、わが国の国力を下降線に導いているのでしょう。

 

>これが「学歴のワナ」。

 

身分社会、学歴社会など全ては ‘序列メンタリィティ (考え方)’ のなせる業ですね。その根源に、日本語の階称 (言葉遣い) があるのではないでしょうか。ここに、問題のカギがある。

 

(略)

 

 

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