歴史を学ぶ魅力

 

(略)

> ~歴史を学ぶ魅力~

>――― 歴史の学習は、小学校の5年生から学び始めます。>そもそも歴史を学ぶとはどういうことですか? >どうして歴史を学ぶのでしょうか?

> 大濱先生 歴史というのは過去の出来事であり、遠い昔に何があったかを知ることとみなさんが思っているかもしれない。>だから、小学校から中学、高校へと歴史という教科があるけれど、何年に何が起こったか、年号を暗記するものだとして嫌われていますね。> どうして覚えるのかという部分が理解されていなくて・・・それを覚えて何になるの、という。

 

そうですね。それが重要な問いになりますね。

 

>クイズ番組のいい素材くらいでしかないと思われがちだし、それが学校現場で歴史教育が魅力のない一因でないかと思います。

 

そうですね。暗記物の教育は、魅力がないですね。

 

>  でも歴史に学ぶ、過去の出来事を学ぶというのは、過去に何があったかということを単に覚えることではなくて、「いまその出来事、時代を生きた人間の営みを見つめることを通し、それが私にとって何なのか」…「いま現在を生きている私とは何か、私の居場所を考える素材」なんだと思います。

 

そうですね。歴史は単なる暗記物ではなくて、各人がそれぞれに内容の意義を考えるべきものですね。

 

>  「私の居場所を考える」ということは、「私が明日をどのように生きようとするか」、「どんな社会にしたいか」という強い「私」の主体的想いをふまえ、過去の出来事を読み直し、歴史像を、歴史として語り聞かされている世界を再構成していく作業、つくり直される、再編成されることによって歴史という物語は動き始めるのだと思います。

 

非現実 (考え) の内容は、人さまざまである。だから、考える人の住む社会は、個性的な社会になります。個人を尊重する個人主義のある社会になります。  

 

>  ただ現実として、日本の教科書をはじめ、歴史モノの書籍などは、「過去にこんなことがありました」という話だけ。>要するに決まりきった事柄を、決まりきったように解いていくから発見がない。

 

そうですね。日本の教科書は、思考停止をしている人の書いた思考を停止している人のための教科書ですからね。

 

>歴史は書き換え、創りなおされる物語という眼が弱い。

 

そうですね。歴史に関する個人の考えは、歴史哲学ということになりますね。成功すれば、歴史書の名著が出来上がることになりますね。

 

>  多くの人が司馬遼太郎の作品や、大河ドラマなどに興味を持つというのは何かというと、それらの作品に今の出来事を読みとるから面白いんだと思うのです。

 

各人に哲学は、必要である。Everyone needs a philosophy.

矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。正しい考えは、哲学になる。

矛盾を含む文章は、間違った考えを示している。間違った考えは、空想・妄想となる。お陰様でわが国は、漫画・アニメの大国になりました。

非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章内容として表現される。時制のある文章内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を示すことができる。各世界の内容は、限りなく展開が可能である。人生の始まりには、各人とも各世界は白紙の状態である。

しかし、白紙の状態は、誰しも気になる所である。そこで各人がめいめいに白紙の部分を少しずつ埋めて行くことになる。思春期になると言語能力が発達するので、各人が ‘考える人’ になる。高等教育機関に進学して、自己の世界観 (world view) を得る。これに成功すれば、学士・修士・博士の称号を得ることができる。自己の世界観 (非現実) に基づいて現実の内容を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) の持ち主ということになる。’あるべき姿’ を提案できる有用な人物になる。

英語の文法には時制があるので、英米人には世界観がある。自己の世界観に従って現実の世界を批判して批判精神を示すことができる。

日本語の文法には時制が無いので、日本人には世界観がない。だから、批判精神を持たない。無哲学・能天気のままで、時流に流されている。

 

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