教育改革

(略)

>2020年の教育改革について山下慎也氏はこう語る。> 『2020年に学校の勉強が大きく変わります。 > 今回の変化は「脱ゆとり」どころの騒ぎではなく「教育の明治維新」と言われるくらいの大きな変化ですが、まだまだほとんどの保護者の方にとっては「教科書が変わるだけでしょ」程度にしか思われていません。

 

政府の掛け声だけでなく、本当にわが国の教育が変わると良いのですがね。

 

> 今回の変更の一番のポイントは、これまでの「どれだけ知っているかという知識重視の学習」から「どう考えるかという思考力重視の学習」に変わるということです。』

 

現実の内容は、頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。楽ちんである。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。話の内容を知るには、その文章を文法に照らし合わせて理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) をもって、理解に代えている。

しかし、忖度と理解は、似て非なるものである。忖度は聞き手の勝手な解釈の内容であるから、話者に何の責任もない。議論にならない。現実直視になっていない。

現実直視にならないことを非難すれば、忖度の主は、’だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反発する。だから、忖度の主の発言は歌詠みになる。

 

> 明治以来の富国強兵をもとにした日本の教育制度がようやく変わろうとしている。>これは、ITやAIによって大変革を迫られているビジネス界からの要請もあったという。

 

わが国には人手不足はあっても、頭脳不足は存在したことがないですね。これは、日本語脳の特殊事情によるものでしょうね。

 

>しかしながら、未だに親や教師の世代には、旧来の価値観を是とする人たちが多くいる。> 一流企業に内定したのを蹴(け)って、まだ小さなベンチャーに入ろうとする子どもを止めるのは、たいてい親だからだ。

 

そうですね。たいていの親は、現在と同様な未来の安定を望んでいますからね。

 

> 「20分より先の未来を考えるなど時間の無駄だ」(ジェフ・ベゾス)> 一寸先も分からないようなこの大変化の時代は、前例踏襲が得意な「記憶再生能力」の高いだけの旧来型の官僚タイプの人たちが役に立つわけがない。

 

有職故実は、昔からの仕来りですね。

 

> 自分の頭で考え、発想し、その場で即応できる自律型の「行動できる人」でなければ、これからの大変化の時代を生き抜くことはできない。> 自分で考えて行動できる子どもを多く輩出(はいしゅつ)する国でありたい。

 

そうですね。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.

しかしながら、日本人には、意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳には未来時制は無く、日本人には意思がない。

仕方がないから、日本人は無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。これを見て、精神修養の必要性を感ずる日本人は多い。

武芸を通して精神修養を行うと、動作の素早い人間は育成できるが、リーズン (理性・理由・適当) を持った人間はできない。意思決定 (理性判断) はできずに、恣意決定 (盲目の判断) をするようになる。この問題を解決しなければ、わが国の教育問題の解決は進展しないでしょうね。

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)

 

 

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