石倉洋子氏 2/2

 

> 本書から得られるメッセージは、日本の全世代に通用します。

 

そうですね。これは、便利ですね。

 

>個人で選択することは子供の頃から経験を積まないと身につかないし、突然決めろといわれても困難です。

 

日本人には意思がない。意思の無い人には意思決定が難しいですね。

 

>選択のオプションは広いこと、さらに広がりつつあること、そして個人こそその選択の権利を持っていること、選択したことは自分で責任を持つことを人生100年時代は要求しています。

 

‘百日の説法、屁一つ’ にならないと良いですね。

 

> 今の子供は寿命が100歳を超えることが当たり前ですから、若いときから個人で選択する経験を持たせる必要があります。

 

そうですね。ぜひ、個人の選択ができる言語環境にしたいですね。

 

>また子供や若い人だけでなく、本書に登場する3人(ジャック=1945年生まれ、ジミー=1971年生まれ、ジェーン=1998年生まれ)のひとり、団塊の世代の「ジャック」の年代にある人も、意識して3つの目に見えない無形資産をつくっていくことが必要です。

 

それは、グローバルであり、ユニバーサルな提案ですね。

 

> 私にとっての本書の最も大きなインパクトは、「長寿は、多様で素晴らしい経験をする時間の余裕をあたえてくれるすばらしい機会だ」という根拠のある(長寿は世界的に、とくに日本では「明らかな傾向」ですから)期待です。

 

そうですね。長年の夢がかなえられますね。

 

>それを自分のものとできるかどうかは私自身にかかっていること、そして自分なりに残りの人生をデザインできるということは、開放感をもたらしてくれました。

 

それは良かったですね。

 

> 団塊の世代の私がこれだけ楽観的な考えを持つことができるのです。>もっと若い世代にはさらに時間の余裕があり、より広い世界が開かれ、選択オプションはもっと広くなります。

 

そうですね。だが、それは彼らが正しい解決策の道筋を実行した場合のことでしょうね。

 

>そのような確信を持って自分の人生を生きることを、本書は後押ししてくれます。

 

為になる本ですね。

 

> 最後に、今やっているセミナーシリーズなどで本書のアイデアをもとに試行している、誰にでも簡単にできる練習をご紹介します。>それは「100歳の私—自分の人生を語る」というものです。>学校の同窓会ででもプロジェクトの仲間とでもよいのですが、“100歳記念イベント”を想定して、100歳の自分がこれまでたどってきた人生をストーリーとして語る、という練習をしてはいかがでしょうか。

 

‘我らは何処から来たか’、’我らは何者であるか’、’我らは何処に向かうのか’、の哲学的命題を考えてみるのも良いでしょうね。無哲学・能天気の学生衆には無理かもしれませんね。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

 

>100歳の自分がイメージできれば、そこに至る道もはっきりしてくると思いますし、今はやりの、ストーリーを語る練習にもなります。

 

非現実 (考え) の内容は、時制のある文章によって表現されます。時制のある文章は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を描くことができます。これらの世界は、個人の世界観と呼ばれるものになります。人生の初めには、非現実の世界は、全て白紙の状態にあります。しかし、白紙の状態は、誰しも気にかかることなので、各人が自主的にその内容を埋めてゆきます。かくして、人間は ‘考える人’ になります。現実の内容が ‘今ある姿’ (things as they are) であるとすると、非現実 (考え) の内容は、’あるべき姿’ (things as they should be) ということになります。’あるべき姿’ の内容を基準にとって ‘今ある姿’ の内容を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) の持ち主になります。

英語には時制があり、英米人には世界観があります。ですから、彼らは批判精神の持ち主になることができます。日本語には時制がなく、日本人には世界観がありません。ですから、日本人には、批判精神もありません。ですから、改革運動に難渋しています。

 

>ビデオや音楽など新しいメディアを使ってストーリーを作るのも楽しいのではないでしょうか。

 

楽しいストーリーができると良いですね。

 

 

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