決定権者 1/4

 

>279519 日本の教育の「決定権者」は日本の教育をどうしたいのか!?①  >向芳孝 ( 50代 農業 ) 13/07/23 PM10 【印刷用へ】 >JanJanBlog(リンク)から転載します。 >-----------------------------------------------------------------

>1.はじめに > 前報(注1)で私は、日本の政治を実質的に動かしているのは、選挙で選ばれた政治家ではなくて、「国民の僕(しもべ)」であるはずの官僚である、と主張した。

 

官僚は、政治に関する国民の代表ではありませんね。もしそうであれば、改めるべきです。

 

>読者の中にはこれを「極論」と見る人もいようが、それでも、日本の政治を決めている「要」の人たち、それを仮に「決定権者」と呼ぶならば、彼らは、官僚を主軸とした政治家―財界―報道機関―御用学者から成る「官―政―財―報―学」ペンタゴン構造の一員である、という点についてはそう異論はあるまい。

 

日本には、責任者がいない。責任者は意思決定をして与えられた権力を使って、その時々の事態に対処しなくてはならない。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. ところが、日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。

意思は、見政治性の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

カレル・ヴァン・ウォルフレンは、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。東京は、パリやロンドンに負けず劣らず、”すべてのものがある”大都市である。大企業は、中央官庁の役人から離れないよう、本社あるいは重要な支社を東京に構える。主要教育機関も、ここに集中している。予算陳情のためには、地方自治体も国の中央官僚に取り入らなければならない。東京以外には、重要な出版産業も娯楽産業もほとんど存在しない。ところが、この地理的中心地には、政治の中核がないのである。どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)

 

> 日本では、それぞれの政策分野にそれぞれの「決定権者」がいる。

 

わが国には個人の意思決定が無く、全てが事の成り行きで決まる。

 

>3・11という国家未曾有の危機に遭遇してはじめて分かったように、日本のエネルギー分野に関しては、「原子力ムラ」に代表される決定権者=既得権益層の一群がいる。>世論調査によっては原発再稼働に反対する世論が再稼働容認の2倍もいるというのに、政府は国民の多くの反対をものともせず、一刻も早く再稼働させるつもりでいる。

 

そうですね。原子力村は中国政府のようなもので、民意の反映にはだれも熱心ではありませんね。

 

>  そう、この国で「民意」がかくも軽んじられるのは、国政が民意ではなく上述のペンタゴンによって動かされているからである。

 

そうですね。官-政-財-法-学 のペンタゴンですね。

 

>そういう意味でこの国では、国民と国家との間の溝は極めて深い。>OECDのGovernment at a Glance 2011によると、OECDの中で国民の政府への信頼の高さランキングでは日本はビリから2番目だそうで、むべなるかな・・・。

 

それであっても、国家の暴走は国民の責任になるでしょうね。

 

>  さて、突然私事で恐縮ながら、私には3人の孫がいる。>この子たちの将来を考えるとき、真っ先に私の頭に浮かぶのは、この子たちにはもう私たち世代が体験したような「受験地獄」、つまり人生の「勝ち組」切符を手に入れるために、学校で学ぶ以外に「塾」でも勉強しないといけない、そういう欧米先進国ではありえない過酷な体験はさせたくない、という気持ちである。

 

そうですね。わが国は、勝負の世界であります。敗者は、常に勝者に対して敗者の作法を取らなくてはならない。ものの上下はそれで決まる。個人の価値判断は期待されていない。

 

>育ち盛りの大事なときに子どもを長時間机にへばりつけておくのは、それこそ誰かが能天気に唱えている呪文「美しい日本」のためにも、百害あって一理なし、と思う。

 

本当にそうですね。我々は早く脱出口を見つけなくてはならないですね。

 

 

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