決定権者 3/4

 

>3.マスコミの罪

>  さて、「教育政策の決定権者」の中に、報道機関=マスコミがいる。 >マスコミの中でも朝日新聞は、教育問題に熱心である。

 

教育は、重要な問題ですからね。

 

>しかし私は、この新聞に対しては強く批判的である。

>JanJanBlogでも私は、朝日新聞社の東大偏重報道を批判してきた(注2)。

>試みに読者のみなさんも、例えばここ1週間くらいの朝日紙面を見ていただければ、いかに紙面に東大の文字が氾濫しているかがおわかりになると思う。

 

東大に関係した大切なことが書いてあるのではないでしょうか。

 

>  そういう新聞社が、7月12日付けで、第15回「朝日のびのび教育賞」の募集をしていて、「学校や家庭、地域が手を携えて、子どもたちの豊かな心を育む活動」を表彰する、と謳っているのには笑ってしまった。

 

何かおかしなことが書いてありましたか。

 

>  確かに、朝日の東大偏重にはそれなりの根拠がある。>日本の官公庁の官僚幹部の大半が東大出身であり、無数にある独立行政法人公益法人のトップはもちろん、日本のあらゆる分野における重要ポストの多くが東大出身者に占有されているのは、事実である。> 47都道府県知事の実に8割が官僚出身者で占められ、その大半が東大卒であるのも事実である。>今回の参議院選でも、いかに東大卒で官僚出身の当選者が多かったことか。

 

学閥の繁栄というのですかね。

 

>しかし、だからといって、こういう現状が決して国家として「正常な」状態とは、少なくとも私には考えられない。

 

そうですね。’あるべき姿’ (things as they should be) から逸脱していますね。

 

>  新聞とかテレビとかは、「権力の監視」がその大きい役割のひとつであるはず。>しかし朝日新聞は、決してこういう日本の現状には批判を加えない。

 

日本人には、批判精神がないですからね。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

非現実 (考え) の内容は、時制のある文章になる。非現実の内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) として表現される。これらの内容は、世界観 (world view) と呼ばれている。人生の始まりには、世界観は白紙の状態である。しかし、この白紙の状態は、誰しも気になるところである。そこで、各自でその白紙を自主的に埋めて行く。そして、自分自身に世界観ができる。自分自身の世界観 (非現実) に照らし合わせて現実の内容を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) の持ち主となる。

英文法には時制 (tense) というものがあるので、英米人には世界観がある。だから、彼らは批判精神の持ち主になる。日本語の文法には時制がないので、日本人には世界観がない。だから、批判精神もない。理想を目指した改革運動も難しい。

 

>そういう意味で、朝日新聞はもちろん他の大半のマスコミも、上述の塾と同じく、教育政策に関しての政府の補完勢力の一翼を担っている、と言わざるを得ない。

 

残念ながら、全国民がそうですね。

 

>  何かあればすぐ東大の先生方を引っ張ってくることが多い朝日は、そうと公言しないままに、読者とその子どもたちに対して、「東大は日本で冠たる大学であり、その他の大学は相手にならず、したがって子どもたちも、大学ピラミッドの頂点たる東大を目指せ!」と煽っているのである。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的上下判断ができないと、日常の日本語会話の上達も難しい。そのうえ、日本人の礼儀作法も序列作法になっているので、世俗的な ‘ものの上下’ を知らなければ、礼儀正しい日本人にもなれない。人を見損なってはいけないという想いが高じて、脅迫観念の域にまで達している。だから、日本人は堅苦しい日常生活を送っている。人々は、’頑張って’、’お疲れ様’ などと声を掛け合って励まし合っている。

 

>  そういう記事づくりで東大のダントツぶりを煽って、多くの子どもと親をして、「やはり東大を出ないと日本では人生の落後者になるのね」と納得させ、やる気を無くさせておきながら、一方で「子どもたちの豊かな心を育む」運動を表彰するとは・・・。

 

全ての考えは文章になる。文章にならないものは、考えではない。矛盾を含んでいない文章は、全て正しい考えを表している。だから、正解は一つではない。考えは、人人により違っている。だから、正解も多数ある。矛盾を含んでいる文章もその矛盾を取り除けば正しい考えになる。この目的には、対話・議論が役に立ちます。対話・議論を盛んにして、正しい考えを多く作ろう。我々の選択肢が増える。

 

>私は言いたい:「あなたたちの長年にわたる東大偏重記事で、いかに多くの子どもたちが、本来の『豊かな心』を蝕まれてしまっていることか。

 

そうですね。序列信仰の成れの果てですね。

 

>あなたたちは、日本の教育を悪くした『犯罪者』のひとりでさえある」と。

 

序列信仰は、一億一心の状態にあるでしょうね。一億総ざんげが必要なのかもしれませんね。

 

 

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