人材育成

 

>337353 新たな社会に必要なチカラ、意外にも…? >匿名希望          18/07/19 PM08 【印刷用へ】 >文科省から「Society 5.0 に向けた人材育成~ 社会が変わる、学びが変わる ~」(平成30年6月5日)という内容で、これからの人材育成に対する考え方をまとめた報告書が出ています。> 人工知能化する社会の中でも求められる本質の能力は、以下の3つがあげられています。

> (1)文章や情報を正確に読み解き、対話する力

 

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。幾らでもある。考えの内容は人様々である。

矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えを示すことになる。矛盾の除去には対話・議論が役に立つ。対話・議論を盛んにして、正しい考えを多く作ろう。

 

>(2)科学的に思考・吟味し活用する力

 

科学に関する考え (非現実の内容) は、科学哲学になる。歴史に関する考えは、歴史哲学になる。政治は政治哲学、宗教は宗教哲学、人生は人生哲学、などなど。

私は、’哲学とは何ですか’ と何度も日本人のインテリから尋ねられた経験がある。英米人からは、そのようなことは一度もなかった。きっと、日本の大学では哲学を勉強させていないのでしょうね。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’  (フランク・ギブニー)

英米人は、高等教育機関で自己の考え (哲学) を作成して、学士・修士・博士の称号を得ている。わが国の大学で自己の哲学を作成しなければ、学生は4年間を遊んで暮らさなければなりませんね。

 

>(3)価値を見つけ生み出す感性と力、好奇心・探求力 

 

感性は非言語ですね。好奇心・探求力も非言語の力ですね。非言語の分野では、日本人はこれからも力を発揮できるでしょうね。感性は文法に直接作用されませんからね。

 

> 大きくこれまでと変わるものではなく、やはり人間力が全てである。とも言えるでしょう。

 

そうですね。人間の力は大切ですね。

 

>一番変わらねばならぬのは、学校であり、教員なのかも知れません。

 

学校・教員がどのように変わるのか。その変わり方が問題ですね。無哲学・能天気では、批判精神は生まれない。何が悪いのかは今もわからない。

 

(略) >■意味付けのできる人間だからこそ (略)

>現実社会を意味付けして、幸せや豊かさを追求できるのは、人間をおいて他はありません。

 

そうですね。’あるべき姿’ (things as they should be) の内容は、人間の考えることですね。人間以外の世界では、価値は実物以上でもそれ以下でもありません。

 

(略)>■文系・理系の枠を超えて > そうは言っても、今まで通りでよいとは限りません。>報告書は、今後取り組むべき政策の方向性として、

>I:「公正に個別最適化された学び」を実現する多様な学習機会と場の提供 

 

考えの内容は、個人個人で違いますからね。個人の考えの内容を尊重し保護しないと、没個性の人間が育成されますね。

 

>II:基礎的読解力、数学的思考力などの基盤的な学力や情報活用能力をすべての児童生徒が習得 

 

現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。だから、考える必要はない。楽ちんである。日本人は、実況放送・現状報告の内容の話ができる。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。その話を納得する為には、文法に従って文章内容を理解しなくてはならない。これは骨が折れる。日本人は、通常この理解を避けて通る。日本人は、理解の代わりに忖度 (推察) を使っている。だが、忖度と理解では似て非なるものであるから、気を付けなくてはならない。忖度は聞き手の勝手な解釈であり、話者には何の責任もありません。忖度の人に、’現実直視がなされていない’ と非難すると、’だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反発する。だから、議論にもならない。歌詠みになる。

 

>III:文理分断からの脱却……

 

文科の人も理科の人も大成すれば、哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph.D.) になりますね。リーズン (理性・理由・適当) には、文科・理科の区別もない。

 

>を挙げています。

 

個人主義がない国では、個人の考えは大きく発展しませんね。

 

(略)

> (筆者:渡辺敦司) 

 

 

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