手段の目的化

(略)

>  たしかに、本来ならば目的を達成するための「手段」であるはずの「資格」が、取得すること自体が「目的」となってしまうことはよくあるのだと思います。>それが多大な労力を必要とされる難関資格であればその傾向は強くなるのかもしれません。

 

そうですね。

 

>  私も、仕事で弁護士とのやり取りがたまに発生しますが、弁護士資格を持っていても、交渉事はすべて「人とのやり取り(すなわち共認形成=共感、課題の整理、可能性の方針化、実行支援etc.)」である以上、それができなければいくら知識があっても役に立たないと痛感されます(特に最近の若手弁護士の方は、試験が得意であっても交渉が得意なわけではないタイプが多いように感じます)。

 

そうですね。

 

>  ちなみに、私も仕事で必要なので宅建主任者の資格を取りましたが、これなどはそういった弊害は起きにくいように思います。>  なぜなら、宅建そのものが難関資格のように取れば食っていけるような権威(序列優位)があるものではなく、あくまで仕事をする上で土俵に上がる(資格を持っていることでできる仕事をする)ためのものであることが明確だからです。>および、取得することに難関資格ほどの困難さをともなわない故に、投入する時間や労力も全てを投げ打ってまでの犠牲までは払っていないからではないかと思います。

 

そういうことになりますね。

 

>  おっしゃるような優越感や自己満足、勝ち組意識は、「必要以上に難関(試験のための試験)」であるが故に、(潜在的には重要だと感じている)他のことを犠牲にしてまで取得した対価として生じるのではないでしょうか。

 

そうですね。序列メンタリティ (考え) の持ち主であれば、優越感・自己満足・勝ち組意識はそれだけ強くなるでしょうね。戦果を無視して多大な犠牲を払う大戦中の自爆攻撃についても同様な傾向が見られましたね。

 

>  つまり、これらの難関資格は取得することによって特権を得られる(序列上位に立つ)ので、あまりに安売りはできない(希少性が不可欠)。と考えれば、これらの資格は実務に役立てるためというよりは、特権階級に入る人間を選別するための資格試験に近くなってくるように思います(難関資格であればあるほどその傾向は強くなる)。

 

そうですね。東大合格のようなものか。社会には特権階級の存在が必要ですね。それは靖国神社に合祀されるようなものか。

 

>  そして、その資格取得のために、資格を授与する国家側が要求する知識群の習得を強要される。 >(他を犠牲にして苦労させられる)過程を経て特権意識も植え付けられていく。

 

それは序列社会の特徴でしょうね。序列順位昇進が何よりも満足感を与えますね。

 

>もちろん、実務として必要な知識もその試験内容には含まれますが、必要か否かのバランスが偏ってしまっているのではないかと思います(私は難関資格を持っているわけではないのであくまで推測ですが・・)。

 

そうですね。難関突破に偏重している人は実に多いですね。イージィー目指す修行は流行りませんね。

 

>>現在、私は仕事の合間に自分の興味ある分野を勉強しています。 >>資格試験という形になりますが、昔のように習得をゴールにする形にはしたくないと思います。

 

それは処世術の目的ですね。

 

 >>そのためには、習得した知識や技術を活かせる場所や仕事を自分で探す、あるいは作り上げる。 >>自己満足ではなく、他人の役に立てる活用法を探し続けることを常に頭にいれておきたいです。

 

宮沢賢治のように、’あらゆることを自分を勘定に入れずに良く見聞きし分かりそして忘れず、、、’ ですか。

 

>  「手段の目的化」を防ぐためには、実現したいこと(目的)を明確にして、そのための手段としての資格という認識を明確に持つことが重要ですね。

 

そうですね。憲法改正に努力する人は、その改正によりもたらされる ‘来るべき世界’ の内容を明らかにして熱っぽく語るべきですね。

 

>  また、そうでなければ、自己満足(優越感、勝ち組意識、特権意識)だけのために難関資格を取得する勉強を継続できる意欲は続かなくなってきています(周りを見ていてもそう感じます)。

 

そうですね。無哲学・能天気の人間には、自己満足の為にしか意欲がでませんね。’話が小いせえのう’ と言われますね。自分固有の世界観を持つべきですね。  

 

>  誰かの、さらには社会の役に立つためにこの資格を取得するという「充足イメージ(相手が喜んでくれるシーンを想い浮かべ体感できるくらいに)」があって、はじめてがんばれるように思います。

 

‘お国の為に戦った〇〇サンよありがとう’ ですか。

 

>  「何のためにその資格を取るのか?(あるいは、何のためにそれをするのか?)」という問いかけと、ご指摘のように「自己満足ではなく、他人の役に立てる活用法を探し続けることを常に頭にいれておく」は、これからいよいよ重要になってくるのではないでしょうか。 

 

そうですね。’あるべき姿’ の内容のある世界観を持つことが必要ですね。

 

 

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