同調圧力 2/2

 

>たった一人で良いから「この卑怯なことを止めよう」と勇気を出して正義を貫けていたら、違った局面となったことだろう。

 

日本人には勇気がない。それは、個人に自己の判断基準がないからです。

 

>ここまでひどいケースでは無くとも、これに近いケースを教育現場で観たことがある。>愚かな間違いがあっても、なかなか上の立場の人が言い出したことを変えられない空気がある。

 

わが国は、序列社会 (上下社会・縦社会) の国ですからね。上意下達は習慣となっていますね。

 

>学校は、人が人を指導するところ、いわゆる「人治主義」の場所だからだ。

 

学校における個人 (判断) の確立が必要ですね。

 

> 「みんな違って、みんないい」と、金子みすず氏はポエムにした。>色とりどりの個性という花を咲かせて、この世界を自由で美しいものとしたい。>また、一人だけを「下」にしないで「一緒になれてうれしい」と感じることのできる世界、愛と思いやりという共感のあふれた世界を創りたいという願いがある。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、上と見るか・下と見るか’ の世俗的判断は欠かせない。もしこの上下判断が疎かであると、日常会話にも差し支えるほどである。その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の序列判断が疎かであっては礼儀正しい日本人にもなれない。’序列なきところに礼儀なし’ である。

 

>自助努力と同じく、社会的包摂は、社会を築く上で重要な考え方である。

 

‘人を見損なってはいけない’ という想いが高められて強迫観念の域にまで達しているので、日本人の日常生活は堅ぐるしいものになっている。’頑張って’ とか ‘お疲れ様’ とお互いに声を掛け合って励まし合っている。’気楽にやれ’ (Take it easy.) とか、’うまくやれ’ (Good luck.) とかいった雰囲気にはとてもなれない。

 

> 教育界で道徳が必要だと叫ばれて久しい。>宗教、真善美の哲学、さまざまな思想から導き出される「道徳」は質的に高みがある。

 

修身の徳目は借り物にすぎませんね。紋切型の道徳では現実生活には役立たない。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy. 自己の哲学 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、その人は批判精神 (critical thinking) の持ち主になることができます。ご唱和の世界から脱出できます。

 

>一方で、より実践に即した「道徳」は、行動を伴う経験によって、教師のスキルも磨かれていくという側面も忘れてはならないと思う。

 

そうですね。個人の哲学に従った行動が必要ですね。

 

>高みのある思想と実践とにかけ橋をかけること、それは、日々の努力と創意工夫の汗の結晶でしか生まれえない橋だ。

 

自己の哲学の内容と現実の内容との折り合いが個人に悩みと励みを与えますね。

 

>教師こそ、常に謙虚な姿勢で反省し、教育力を向上させていってほしい。

 

日本人には意思がない。だから、加害者意識もない。在るのは被害者意識ばかりである。

罪の意識もない。だから、深刻な反省にも至らない。これが我々日本人の大きな問題でしょうね。

意思の無い人には方法 (仕方) もない。だから、無為無策でいる。これが問題でしょうね。

 

 

.