意識の低さ

 

(略)

>◆日本人がおかしくなっている理由 >しかし、それが本来なのに、現実の社会や生活がそうなっていない。 >だから、精神もシステムも知性もおかしくなる。

 

西洋の猿真似もなかなか難しいものですね。

 

>昨日、テレビ朝日の報道で以下のようなものがありました。 >◇「国や社会を変えられる」と思う若者は5人に1人 テレビ朝日 2019/12/03 >「自分で国や社会を変えられる」と思う日本の若者は5人に1人しかおらず、国や社会に対する意識の低さが浮き彫りになりました。 > 日本財団が日本やアメリカ、イギリス、中国、韓国やインドなど9カ国の17歳から19歳、それぞれ1000人を対象にした調査によりますと、「自分で国や社会を変えられる」と考える日本の若者は18.3%で、残り8カ国で最も低い韓国の半数以下となっています。

 

日本人には意思がない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い日本人には、方法がない。だから、自分で国や社会を変えることができない。

意思は未来時制の文章内容で表されるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

 

>さらに、「自分の国の将来についてどう思うか」という質問に「良くなる」と答えた日本の若者は9.6%で、9カ国中最低となり、トップの中国の10分の1にとどまりました。 

 

日本人には世界観 (非現実) がない。だから、未来の世界の内容を想定できない。そして、良くなると考えることは難しい。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

 

>◆《本来の日本人の資質》と日本の社会システムの間にある軋轢

>どうして、こういうことになったのかということもまた、先ほどの統計からわかるのです。 >すなわち、日本の若者たちが絶望しているのは、「自分たちの中にある《本来の日本人の資質》と、実際の日本の社会のシステムの間に軋轢がありすぎる」からです。 >第二次大戦後に西洋人主導で進められた現在の日本社会のスタイルは、私たちに合っていない。

 

そうですね。西洋人には意思がある。意思のあるところには責任がある。加害者意識を体験する。罪の意識に苛まれる。贖罪の為の宗教 (キリスト教) が必要になる。

 

>権威と権力が大っ嫌いな私たちには合っていない。

 

日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は未来時制の文章になるが、意思はバラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在し文章にはならない。意思には意味があるので議論の対象になるが、恣意には意味がないので議論にもならない。人災も天災も似たようなものになる。

序列社会の権威者が恣意の権力を振り回すと、バカ殿様の世の中になる。だから、わが国では序列の権威者は何もしないのが最大の業績となっている。

 

> 少なくとも、戦前は「権威と権力が大っ嫌い」という考え方に則って日本人が生きていたことは、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』などにも数多く出てきます。

 

そうですね。それは明治以前と同じですね。

 

>たとえば、19世紀には西洋では「権威の頂点」だった「宗教」というものに対しても日本人は以下のようなものでした。 > 『リンダウは、「宗教に関しては、日本人は私の出会った中で最も無関心な民族である」と言う。

 

その理由は、わが国の権威者には意思がない。神にも意思がない。だが、世俗的な序列秩序は日本語の特性により堅固に保たれていました。

 

>日本には数多くの寺社があるにもかかわらずそうなのである。

 

日本人には意思がなく、日本人の神にも意思がない。だが、形式はある。それが宗教的なのである。

 

>日本では僧侶は「いかなる尊敬も受けていない」。> 仏教と神道の区別もはっきりしない。

 

無意思の点で両者は区別できない。しかし、形式の点では仏教と神道はハッキリと区別できます。日本人は仏壇と神棚を同じにはしない。

 

>民衆は「宗派の区別なく、通りすがりに入った寺院のどこでも祈りを捧げる」。>しかし彼らは信仰からそうするのではなく、神聖とされる場所への礼儀としてそうしているのである。』

 

そうですね。日本人は形式を学んでいます。しかし、意思は学んでいない。意思にはリーズン (理性・理由・適当) というものがあります。日本人にはリーズンがないので違和感もない。

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

 

(略)

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