信頼 2/2

 

>すでに触れたが、日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。

 

わが国は、平等ではない上下社会 (序列社会) を形成していますね。序列系列間の争いは、派閥争いと言われていますね。

 

>武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。

 

そうですね。序列制度による小刻みの差別ですね。

 

>特に江戸時代、庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。

 

浮世は憂世でしたね。

 

>庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。

 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意というものがないからである。

自己の意思を示せば当事者・関係者となる。示さなければ傍観者にとどまる。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。

意思の無い国の責任は、牛馬の苦しみとなり、残酷物語となる。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

>自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。

 

そうですね。目先・手先の事柄に神経を集中させさせていましたね。だが、世界観は持たなかった。

 

> 階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。>奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。>日本文化のユニークさのひとつは、奴隷制を持たなかったことであった。

 

そうですね。だが、わが国にも非差別部落はありましたね。家畜や社畜も飼っている。

 

>奴隷制の記憶が残り、下層階級が上層階級に虐げられていたという記憶が残る社会では、労働は押し付けられたものであり、そこに誇りをもつことは難しいだろう。

 

そうですね。何か良い解決方法があると良いのですがね。

 

> 『私は日本のここが好き!―外国人54人が語る 』や『続 私は日本のここが好き!  外国人43人が深く語る 』を読んで、私がいちばん強く印象に残るのは、外国人が日本人の仕事への責任感や誇り、誠実さを語る部分である。

>私たちは、こういう私たちの長所をもっと自覚すべきだと思う。>自覚してこそ、守り伝えていくこともできるのだから。

 

そうですね。だが、自己慶賀ばかりでは、進歩がありませんね。進歩の方向を指し示すことが何よりも大切ですね。世界観がないのが我々の ‘玉に瑕’ でしょうかね。

 

 

 

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