諦観は良くない

>353731 日本の活力衰弱、諦観している時ではない。 >持国天 ( 古稀超え ) 20/02/14 AM09 【印刷用へ】 

(略)

>本能も観念機能も脅威の本質に照準を絞り仲間を守る行動と思考に徹する。>自然の脅威=外圧を捨象すれば直ちに死に直面する。

 

現実の環境は千変万化するので、その対応も大変ですね。

 

>・然し今、各世代にまたがる引きこもりの実態数がなんと1千万人時代に入ったとも、これが日本の直近の推定数らしい。 >30年前から御用組合となり下がった労組は機能せず、マネーゲーム関連の企業以外の社員給与は低下するばかりだ。 >若者のまともな社会運動も影を潜め、国民の祝日日数は先進国一となり、さらに働き方改革や男の育休など、活力を萎えさせる負の側面ばかりが具体化される。 >日本人の生産活力は衰弱するばかりだ。

 

困ったものですね。 

 

>・与野党問わず自堕落な政治家は、日本の活力衰弱の上っ面しか見ていない。>安倍政権の国民を愚弄する政治姿勢と権力行使の暴走を成すがままにさせてきた。

 

日本人には、批判精神 (critical thinking) がないからでしょう。わが国には、‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 

>政権に好都合らしい東京高検の検事長の異例な定年延長人事に踏み込み、各中央官庁の中枢人事、裁判所から検察庁最高人事にまで内閣府の人事権行使はエスカレートするばかりだ。 >無気力な政治と国民を尻目に、政権の暴走は度を増すばかりだ。

 

日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容として表現されるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本語の脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い日本人には仕方がない。無為無策でいる。意思がないので能動が無く、受動ばかりで無気力な生活を送っている。  ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)

 

>閉塞感は深まるばかりだが、日本の活力再生は正念場である。

 

我々日本人は思考停止の状態にあるので、閉塞感は募るばかりですね。

現実の内容は、頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。Seeing is believing. 正解はただ一つである。考える必要はない。これは楽ちんである。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。その内容を知るには文法に従って文章を理解しなければならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は通常、この理解を避けている。

理解の代わりに忖度 (推察) を使っている。忖度と理解は似て非なるものであるから注意を要する。忖度は聞き手・読者の勝手な解釈であるから、話し手・著者にはその責任がない。たとえその内容に食い違いが生じても話し手には何の責任もない。議論にもならない。忖度の主に現実直視になっていないことを指摘すると、’だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反発し批判を受ける余地がないので話にならない。

見ることのできる内容は、’本当’ のことである。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも見て来たような嘘を吐く人にはなりたくない。だから、自己の非現実・考えは語らずじまいになる。これがとりも直さず日本人の思考停止の状態である。

かくして、我々には解決策の選択肢がない。だから、閉塞感が募るばかりである。解決策の提案が再生活力の正念場である。

考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。考え (非現実) の内容は、時制のある文章内容として表される。非現実の内容は、各々独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) の内容として示される。それぞれの世界の内容は各人の努力により自己の脳裏に展開される。かくして個人は ‘考える人’ になる。非現実・考えの世界は世界観 (world view) と呼ばれて各人に固有なものになる。自己の世界観を基準にとって現実の内容を批判すれば、それは批判精神の表れとなる。批判精神は、現実改革の原動力となる。

英文法には時制があって、英米人には世界観がある。だから、彼らには批判精神がある。日本語の文法には時制がないので、日本人には世界観がない。だから、我々には批判精神がない。マスコミは、言われた事をただたれ流す。有力紙が存在しない。

 

>お先真っ暗な日本と日本人の活力を如何にして取り戻していくか、諦観している時ではない。 

 

無為無策、座して死を待つのは賢明でない。まず隗より始めよ。

.我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、言語における時制の重要性を深く理解しなければならない。時制を利用して自己の意思を表現して、その内容を広く議論の対象としなくてはならない。時制を利用して自己の世界観を示し、この世のあるべき姿に対する賛同を広く得なくてはならない。そして、協力を得て未来社会の建設に取り掛かるのがよい。

 

 

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