嶋崎あゆみ氏

>214596 ニューアイデアの出てこない社会  >嶋崎あゆみ ( 21 学生 ) 09/09/08 PM11 【印刷用へ】 >生産様式は、戦後から今まで、数十年の中で、大きく変化してきている。>そうすれば社会が変化するのは当然となってくる。

 

そうですね。生産様式は自動化されましたね。

 

>しかし未だに、社会の上層で行われている政策は、その変化に対応するものではなく、既存のシステムをやたらに後押しすることだけで終わってしまっている。

 

わが国の政策は後追いですね。時代を先取りするものにはならないでしょうね。

 

>制度に縛られたそのままのやり方では、いずれもしかしたら立ち行かなくなるだろう社会が維持されるのを黙って見ているしかない。

 

そうですね。残念なことに現状維持が日本人の取得ですね。お変わりのないことが何よりなことです。

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容になっているが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には未来時制の内容は想定外になっている。意思の無いところには、方法 (仕方) がない。日本人は、仕方がないから無為無策でいる。だから、日本人はおとなしい。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)

日本語の文法には時制というものがないので、過去・現在・未来という世界の発展内容も日本人の想定外になっていますね。日本人は、思考停止により無哲学・能天気の人になっている。

 

>正しい生産様式の認識に基づいた新しい社会の構想は、どこから出て来て、誰が実践していけるのか。

 

それは、個人個人の問題ですね。新しい社会の内容は、過去・現在・未来の流れを通して考えられるものでしょうね。

各人に哲学が必要でしょう。Everyone needs a philosophy. 各人が自己の哲学を実践して行くのが王道でしょうね。

 

>それはみんなでつくりあげていくものであってほしい。 

 

優れた個人の内容をみんなで支援する必要がありますね。自分に考える力が無ければ、相手の考えを評価する力も出てこないでしょうね。ですから、自助努力も必要ですね。他力本願・神頼みでは新しい社会の建設は難しい。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

 

 

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