江藤淳 1/3

 

>264070 アメリカの「日本マスコミ支配」の起源は何処にあったか? >中村英起 ( 52 会社員 ) 12/05/12 AM08 【印刷用へ】 

>日本のマスコミは、GHQ、CIA、そして在日米軍の管理下にあります。

 

それは日米間の協定によるものですか。

 

> 日本の新聞やテレビは、戦後の進駐軍による日本マスコミに対する「発禁・検閲」の衝撃がトラウマとなり、アメリカの顔色を窺う「従米属国路線」を運命づけられて現在に至っているのです。

 

そうですね。顔色を窺うのは我が国民の伝統的な特性ですからね。いつも忖度 (推察) を使って周囲の空気を読んでいる。

 

>■アメリカの「日本マスコミ支配」の起源は何処にあったか? > 山崎行太郎の政治ブログ「毒蛇山荘日記」より >リンク

>江藤淳の『閉ざされた言語空間』の偉大な業績は、米占領軍による日本の新聞を中心にマスコミへの「発禁・検閲」という占領政策の一環としての情報工作、つまり「言論表現の自由」を奪うという歴史的事実があったということを、アメリカ本国に残された資料を調査・分析することによって実証的に明らかにしたことだけではない。 >それよりももっと重大な業績は、米占領軍の発禁・検閲が、あたかも発禁・検閲という事実がなかったかのような装いのもとに、つまり言論表現の自由が確保されているかのような装いのもとに行われたという事実を指摘したところにある。

 

知らぬは日本人ばかりでしょうね。彼らは堂々とその証拠を保存している。証拠隠滅も改ざんもしていないでしょうね。

 

> 戦時中の日本は言論表現の自由はない非民主主義国家であったが、戦後日本は言論表現の自由が保障された民主主義国家になったのだという、ほとんどの日本人がそう思い込んできた定説が、実は幻想であり捏造された物語であったという事実を明らかにしたのが江藤淳の偉大な功績である。

 

戦後、我が家に配達される封書も検閲されていましたね。彼らには、そのリーズン (理性・理由・適当) があったからでしょう。民主主義国家建設がその目的で、発禁・検閲がその手段でしょうね。

 

>確かに戦前の日本には「新聞紙法」(明治42年、1909年5月公布)、「出版法」「言論集会結社等臨時取締法」などによる検閲が存在し、完全な言論表現の自由は保障されていなかったが、しかし言論表現の自由が保障されていないこと、つまりある場合には発禁・検閲という事実が存在することは隠されておらず、それは公然と表明され明文化されていた。

 

残念な公然の事実でしたね。

 

>しかし、戦後はどうだろうか。>戦後になって、我々がそう思い込んでいるように、言論表現の自由という権利が確立したのだろうか。

 

以前よりは格段に良く成っていますね。

 

>確かに、日本政府が受諾した「ポツダム宣言」には「言論表現の自由」について、次のような記述がある。

> 十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ >日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベ シ >言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ (「ポツダム宣言」より)  

>おそらく、多くの日本人は、ここに書かれている「言論、宗教及思想ノ自由」を、「言論表現の自由」と受け止めたであろう。

 

そうですね。日本人は、受け止めたでしょうね。我々は徳目の暗記には慣れていますからね。 

 

 

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