メディアの病

 

>355862 戦後メディアの病① 国民総無責任化  >根木貴大 ( 45 営業 ) 20/04/19 PM10 【印刷用へ】  >リンク

>2011年の福島第一原発事故にまつわる新聞やテレビの報道は、日本の戦後メディアが内包していた問題をまざまざと浮かび上がらせたと言える。

 

そうですね。日本人には世界観 (world view) がない。世界観は非現実 (考え) の内容である。だから自己の世界観 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判する批判精神 (critical thinking) がない。ただ或るものは、 ‘弱い者いじめをしてはいけない’ という心情だけである。これは、伝統的な歌詠みの仕来りである。

現実の内容は、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。Seeing is believing. だから、これは楽ちんである。考える必要がない。答えはただ一つである。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。その内容を知るには、その文章を文法に従って理解しなければならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は通常理解はしない。代わりに忖度 (推察) を当てている。

非現実の世界は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) に分かれて表現される。それぞれの世界は、人生の始まりにおいては白紙の状態にある。しかし、白紙の状態は誰しも気になる所でもある。そこで各人は、人生の経験を基にそれらの内容を埋めて行く。だから、大人は ‘考える人’ (the thinking man) になる。その三世界の内容は世界観と呼ばれている。その現在には ‘あるべき姿’ の内容がある。この内容を基準にとって現実の内容を批判したら、その人は批判精神 の持ち主になる。

英語には時制があり、英米人は世界観があるので批判精神がある。日本語の文法には時制がないので、日本人には世界観が無く批判精神を持たない。だから、英米人は現実対非現実の比較も可能であり、日本人は現実対現実のみの比較が可能である。

 

>風評被害を抑えるべき報道機関が逆に風評を煽ったケースは少なくなく、そうした報道はいまも続いている。

 

現実に関して実況放送・現状報告の内容ばかりを垂れ流すのでは、結論に達しませんね。’それが、どうした’ (So what?) の問いには答えが出せません。現状の ‘あるべき姿’ (非現実) をマスコミは批判精神として伝えるべきですね。

 

>これらの風評は福島の人たちへの差別を生じ、大いなる苦しみをもたらした。

 

我々日本人には、’あるべき姿’ の内容が必要ですね。だが、文法上の関係でそれは難しい。

 

>この問題はおそらく、広島・長崎における被爆者差別とならんで未来への長い期間にわたって禍根を残し、後世に研究される問題になっていくだろう。

 

そうですね。日本人は、放射能による被害と日本語文法の関係を後世に残しますね。

 

> 「弱者の味方」であったはずの新聞やテレビの記者たちが、なぜこのような差別を引き起こしてしまったのか。

 

現実の内容に関して騒いでも解決しませんね。非現実の内容に目的地を定める必要がありますね。

 

 

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