個性的 2/4

 

>かつて人間関係が固定的だった時代には、人々は親密な相手と否応なく全人的に付き合わざるをえなかった。>しかし、流動性が高まってくると、その前提は崩れ去っていく。

 

それは、一族郎党で行動する必要が無くなったからでしょう。

 

>各々の局面で付き合う相手を切り替えることが容易なため、その場面で必要とされる情報だけで十分に親密な関係が成立しうると感じられるのである。

 

そうですね。

 

> 上の世代から眺めたとき、若年層の人間関係が希薄化しているように映るのは、おそらくこの感覚の相違によるところが大きい。

 

序列作法の減少によるものでしょうね。

 

>総体的な関わり合いを前提としていると、部分的につながっている関係はどうしても希薄なものに見えてしまう。

 

そうですね。

 

>しかし、そもそもアイデンティティが普遍不動の一貫したものではなくなり、場面ごとに切り替わる変幻自在なものになっているとすれば、現在とは違う場面における自分を目前の相手にあえて呈示しないことは、その相手に対してむしろ誠実な態度といえなくもない。>そんなものを顕わにされても、相手は戸惑うだけだからである。 

 

アイデンティティとは何ですかね。序列関係のことですかね。

 

>342799 いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である②  >匿名希望 19/01/25 PM10 【印刷用へ】 >リンク > より引用

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> ・「一匹狼」より「ぼっち」の回避

>ところで、人間関係の流動性が高まったという事実は、それだけ制度的な枠組みが拘束力を失っていることを意味する。

 

そうですね。わが国の序列制度の枠組みは拘束力を失いつつありますね。 

 

> 裏を返せば、制度的な枠組みが人間関係を保証してくれる共通の基盤ではなくなり、それだけ関係が不安定になってきたということでもある。

 

そうですね。先輩 (上司) と後輩 (部下) の間に自分の名前を差し挟むことより心の安定を得る方法が失われつつありますね。

 

> 既存の制度に縛られることなく、付き合う相手を勝手に選べる自由は、自分だけでなく相手も持っている。>関係の自由度の高まりは、自分が相手から選んでもらえないかもしれないリスクの高まりとセットなのである。

 

そうですね。お互いに自由な世の中に近づきつつありますね。お互いに拘束なしの世の中ですね。  

 

> 冒頭で紹介した「個性的であること」が忌避される理由も、じつはここにある。 > 「個性的であること」は、組織からの解放を求めるには好都合だが、組織への包摂を求めるには不都合である。

 

そうですね。個性的であることは突出はできても埋没は不可能ですね。

 

>自分の安定した居場所が揺らぎかねなくなってしまう。

 

自分自身の考えがないから目を付けられるのが不安なのでしょう。考えがあれば、これは自己主張するチャンスと考えられます。

 

> 今日の若者たちは、かつてのように社会組織によって強制された鬱陶しい人間関係から解放されることを願うのではなく、その拘束力が緩んで流動性が増したがゆえに不安定化した人間関係へ安全に包摂されることを願っている。>もちろん、前者が後者へと完全に入れ替わったわけではないが、少なくともその比重は大きく移り変わっている。

 

そうですね。日本人の鬱陶しい序列作法は緩みつつありますね。

 

>かつて人間関係が不自由だった時代の若者たちは、強制された関係に縛られない「一匹狼」に人間的な魅力を感じて憧れたものだった。>しかし、今日の若者たちは、一人でいる人間を「ぼっち」と呼んで蔑みの対象とするようになっている。

 

そうですね。我々は序列作法からの解放を願っていましたね。‘のど元過ぎれば熱さを忘れる’ ということか。

 

>一人でいることは関係からの解放ではなく、むしろ疎外を意味するからである。

 

日本人は、対話が下手ですからね。意思の疎通は想定外になっていて、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) ばかりを望んでいます。

 

> 既存の社会制度の束縛から解放され、自由な関係を築けるようになったのに、それでも一人でいる者は、誰からも選ばれない人間的魅力を欠いた人物とみなされ、否定的に捉えられてしまう。

 

そうですね。日本人には、自分自身の考えの内容も無く、相手の内容を理解する励みもない。

非現実 (考え) の内容は頭の中にあるが、それは見ることができない。ただの話である。その話の内容を知るには、その文章を文法に従って逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる作業である。だから、日本人は通常 ‘理解’ はしない。その代わりに忖度 (推察) で済ませている。

 

 

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