只ならぬ凄み 2/2

 

>大衆が相互監視させられながら、権力の思惑に嵌められてしまう。

 

そうですね。権力者への忖度が、大衆に課せられた務めのようになりますね。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

 

>事実の追求が歪められれば、権力とマスコミの思うが侭になってしまうということだ。

 

そうですね。カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>  (The Enigma of Japanese Power) の <ジャパン・プロブレム> 中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。(p.59) わが国の評論家や官僚は忖度 (推察) という言葉を理解と誤って記憶しているようですね。忖度と理解は似て非なる言葉ですから注意が必要ですね。

 

“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が”理解”ということばを口にするときの特別な意味づけによって、さらに複雑になる。”相互理解”をさらに深めることかが急務である、という表現をもって強調されることが多い。

ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)  

 

>マスコミと権力が結託すれば、事実の歪曲は容易、人々の意識の潮流も捻じ曲げられてしまう。

 

日本人には自己の世界観 (world view) がない。だから、自分の考えを基準にした批判精神 (critical thinking) というものがない。そして、反権力の立場に立つことも無い。上位下達に慣らされているからである。わが国のマスコミは権力者に言われたことをただ記事として垂れ流すだけである。だから、各紙ともどんぐりの背比べのような状態になっていて、有力紙が存在しない。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎・上> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。(p.54)

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)  

 

>この私権社会の世論操作との闘い、コロナ騒動から21世紀の社会を展望する事実追求に立ち向かっていきたい。 

 

現実直視を軽視しているわが国の社会においては現実操作がかなり行い易くなっているでしょうね。そうした虚構によりもたらされる国内外の混乱は止められませんね。

 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

 

 

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