打って一丸 1/3

 

>354478 「打って一丸」の危うさ(内田樹の研究室)① >孫市 ( 43 宮城 会社員 ) 20/03/13 AM10 【印刷用へ】 

>内田樹の研究室」より転載します >リンク

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>「打って一丸」の危うさ >2020-03-06 vendredi

> ある媒体のロングインタビューの中で「打って一丸となる」ことの危うさについて語った。 >日本人が「打って一丸」となるとだいたいろくなことはないのである。 

 

それは没個性的だからでしょう。

 

>では、国難的状況でわれわれはどうしたらいいのか。

 

我々は、国難の根本的な原因を考える必要がありますね。

 

>──内田さんの『生きづらさについて考える』を読んでいて目から鱗だったのは、政権与党側が、わざとまともに質問に答えなかったり、ヤジを飛ばしたり強行採決したりして、もはや議会制民主主義が機能していないという印象を与えることで、計画的に投票率を下げている、という分析でした。

 

そうですね。政権与党は不真面目ですね。

 

>  立法府に対する信頼を掘り崩してゆくことが自民党の長期的な狙いで、それは成功しています。

 

それは政治音痴によるものでしょうね。

 

>国会審議は無意味な政治ショーに過ぎない、国会議員というのは知性においても徳性においても優れた人間ではないというイメージを広めてゆけば、有権者は選挙に関心を失います。

 

まともな議論が出来ないのであるから無意味な音痴ショーをして時間を空費するしかないですね。

 

>投票率が下がれば、今の選挙制度では、組織票を持っている政党が勝ち続ける。> 安倍政権はその計画的な国会審議の空洞化にはみごとに成功したと思います。 

 

審議の空洞化にどのような利益があるのでしょうかね。

 

>どんな質問にもまともに答えない、平然と嘘をつく、前言と矛盾してもまったく気にしない、与党が出す法律はどれほど野党が反対しても最後は強行採決される・・・そういうことを7年繰り返していれば、国民も「国会には存在理由がない」と思うようになります。

 

国会は議論のできない人の集まりですね。議員の使用言語に問題があるのではないでしょうかね。

 

>結果的に、閣議決定や内閣の恣意的な法解釈が国会での審議や立法を代行するようになりつつある。

 

そうですね。

日本人には意思がない。だから恣意 (私意・我儘・身勝手) が横行する。

意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので日本人には意思 (will) がない。だが、日本人には恣意がある。

恣意 (self-will) はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので文章にならない。だから、意味をなさない。議論にもならない。だが、日本人社会の中で恣意は生きている。

意思疎通 (相互理解) の代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) をする。議論・対話の代わりに談合 (腹の探り合い) をする。意思決定 (理性判断) の代わりに恣意決定 (盲目の判断) をする。恣意には意味がないから、過ちがあっても説明責任はとれない。責任者は出てこない。とかくこの世は無責任。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>「法の制定機関」と「法の執行機関」が同一である政体を独裁制と呼びますから、その定義を適用すると、安倍政権はすでになかば事実上の独裁制になっています。

 

そうですね。民主主義に危険を感じますね。

 

> これまでの憲政の常識を当てはめればもう10回くらいは内閣総辞職していないとおかしいくらいに失政・不祥事が続いているにもかかわらず、安倍政権は何ごともないように延命して、憲政史上最長記録を日々更新しています。

 

そうですね。正しい議論が出来なければ、失政・不祥事の決断も下せませんね。

 

> ふつうは内閣支持率が6割近くないと円滑な政権運営はできないので、どんな内閣も国民のマジョリティの同意をめざして政策を立案するものですけれど、安倍内閣は違います。 >30%ほどいる自分のコアな支持層だけに受ける政策を採り続けている。 >そして、確かにそれで十分なのです。>というのは、残り70%の有権者は自分たちの意志はしょせん国政には反映しないという無力感に蝕まれているので、投票のインセンティブを失っているからです。

 

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) はある。Where there’s a will, there’s a way. 当然のことながら意思のない日本人たちの意思は反映されることは無いですね。

 

 

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