べき論 1/2
>356883 「べき論」を語る人が孤立しがちな本質的理由 >名取茉優 ( 20 会社員 ) 20/05/17 PM09 【印刷用へ】
>「巻きこめる人」になるための"3つの考え方 >リンク
>巻き込める人」になるために >どんな仕事でも1人だけで完結する仕事は少ないもの。>同じ仕事でも、周囲が心よくサポートしてくれる人と、そうでない人では大きな差が生まれてきます。
そうですね。特に未来社会の建設には多数の協力が必要ですね。
>周囲の人に協力してもらえる力、つまり「巻き込み力」がある人になることは、今のような先の見えない時代で正解のないことに取り組んでいく際の大きな成功要因になります。
‘巻き込み力’ とはいかにも ‘なれ合い’ の感じがしますね。それは ‘理解’ (understanding) と呼ぶべきでしょうね。
>■こうすべき(Should)」→「こうしたい(Want)」.
> 「~すべき」という考えは周囲の人を動かす強い考え方だと思われるかもしれませんが、この考え方で周囲を巻き込もうとすると実はあまり上手くいきません。
そうですね。考えは人様々ですからね。でも、自己の哲学は必要ですね。
>なぜなら、誰もが納得する絶対的な「べき」はないからです。
そうですね。考えは人様々ですからね。でも、各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
> 「べき」と言うといかにも正論のように聞こえますが、実際には「べき」は立場や環境、経験、時代によって変わるものであり、人は皆違う「べき」を持っています。 >こう考えると、すべての「べき」は正しいかどうかわからないといってもよいでしょう。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含んでいない文章は、全てが正しい考えを示している。ですから、正解は一つではない。幾らでもある。
>つまり「べき」で相手を説得して巻き込もうとすると失敗しがちなのです。
そうですね。人は人、自分は自分ですね。.考えは人様々ですからね。
>ではどうすればいいでしょうか。
自分の方が相手の ‘べき’ に従う方法もありますね。
>「こうしたい(Want)」という視点で切り替えて話すのです。
>メリットは3つあります。
>・相手の「べき」を否定しないため、共感が生まれやすい
各人に哲学は必要ですね。
> ・(仮に)考え方に違いがあっても問題になりにくい
考えの内容は、人様々ですからね。
> ・「ではどうしたらそうなるのか?」ということを一緒に考えてもらえる
自他の世界観比べになりますね。
>■「何をするか(What)」→「なぜやるのか(Why)」
> 「何をするか」という考え方は人を引きつけるように思われますが、いつもそうとは限りません。
>やることは、状況の変化とともに変わることも多いからです。
御都合主義・日和見主義ですね。目先・手先の事柄に囚われていますね。
>自分が「こうしよう!」と掲げたこと=Whatに一時的に協力が集まったとしても、状況が変わるともっとよいWhatに人の心が移って行くことは想像にかたくありませんし、自分自身が試行錯誤し、学んでいくことでWhatが変わることもあるでしょう。
遠い未来を見すえていないからでしょうね。現実にとらわれすぎていますね。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べている。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。
> 巻き込み力にはブレない芯が必要です。>ころころ変わるWhatに協力を仰ぐよりも、ブレない信念に共感してもらうほうが、結果的に強い協力を得ることができます。
そうですね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>信念とは「なぜそれをやろうと思っているのか」=Whyのことです。
それは、個人に世界観があるからでしょう。自分の住みたい世界の内容がすでに想定できているからでしょう。
>Whyへの共感は強く長く続きますが、人を引きつけるWhyとあまり引きつけないWhyがあります。 > 人を巻き込むということを考えるのであれば、共感されるWhyを自分の中に持っている必要があるということです。
そうですね。我々には数多くの選択肢が必要です。
>■「巻き込み力」→「巻き込まれ力」
> 日本は同調圧力が強いと言われていますが、自ら巻き込まれる力は、空気を読んで同調圧力に従うということではありません。
なあなあ主義とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。
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