山口周氏 1/4

 

>349644 【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ① >紀伊谷高那 ( 34 会社員 ) 19/09/24 PM07 【印刷用へ】 

>【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ① >(リンク)より転載

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> 【オールドタイプ】要約し、理解する > ニュータイプ】傾聴し、共感する

>■「容易にわかる」ことで新しい発見を失っている

 

我々は上面 (うわつら) の解釈で全てを済ませているのでしょうかね。

 

> いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。――寺田寅彦  

 

そういう事ですね。

 

>  世界がどんどん曖昧で複雑で予測不可能になることで、私たちの「わかる」という感覚もまた揺さぶられることになります。 >  私たちは過去の経験に基づいて形成されたパターン認識能力によって目の前の現実を整理し、理解しようとします。

 

昔操った杵柄ですかね。

 

>しかし、ますます「VUCA化していく社会」において、短兵急にモノゴトを単純化して理解しようとすれば、すでに変化してしまった現実に対して、過去に形成されたパターンを当てはめて、本来は「わからない」はずの問題を、さも「わかった」ように感じてしまい、現実に対して的外れな対応をしてしまう可能性があります。[Volatility, Uncertainty, Complexity, and Ambiguity]

 

そうですね。それは ‘思い込み’ というものでしょうね。

 

>  特に20世紀の後半においては、要素還元的にモノゴトを単純化して要領よく対処するというオールドタイプの行動様式が「有能さの証」だとされてきたため、いわゆる「優秀な人」とされている人ほど、このミスを犯しがちになります。 >  しかし、千変万化の止まることがないVUCAな世界において、過去に学習したパターンを当てはめて短兵急に「ああ、あれね。わかってる」と考えたがる性癖は大きな誤謬につながる恐れがあります。

 

はやとちり’ ですね。

 

>  なぜオールドタイプが、すぐに「わかった」と言いたがるかというと、そうすれば評価されるということを経験的に知っているからです。

 

それは、世俗的な ‘上と見るか・下と見るか’ の判定をする社会の慣行によるものですね。

日本語には階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な評価は大切です。

 

>現在の社会では「飲み込みが早い」とか「物わかりがいい」といったことを無批判に礼賛する傾向があり、オールドタイプはまさにこの傾向を一種のバイアスとして利用しているわけです。

 

序列社会 (上下社会・縦社会)のつまらない慣行ですね。

 

>  特にこういうタイプがたくさん生息しているのが、筆者が長らく関わってきたコンサルティングの業界です。 >この業界の人々には特有の口癖がいくつかありますが、なかでも「要するに○○ってことでしょ」という口癖は、その筆頭といえるものです。

 

そうですね。分かりの良い人という証拠にしてもらいたいのですね。

 

>  コンサルタントは、物事を一般化してパターン認識することで「アタマが良いね」と褒められるのが大好きな人種ですから、人の話を聞くと、最後にこのように「まとめたい欲」を抑えることがなかなかできません。

 

上と見るか・下と見るか’ の世俗的な序列判定の行われる社会においては、他から褒められることは非常にうれしいことです。これにより相手の態度が自分に有利な方向に変わるはずです。こうした褒め言葉が当人の向上心を大きく満足させることになります。

 

>  しかし、相手の話の要点を抽出し、一般化してすぐにまとめようというオールドタイプの行動様式は、現在のように環境変化の早い状況では、2つの観点で問題があります。

>  まず、対話という場面において、話し手が一生懸命にいろいろな説明を交えて説明したのちに、最後に相手から単純化されて「要は○○ってことでしょ」と言われれば、たとえそれが要領を得たものであったとしても、何か消化不良のような、あるいは何か大事なものがこぼれ落ちてしまったような感じがするものです。

 

それはそうですね。

 

>  私たちが日常的に用いている「言語」はとても目の粗いコミュニケーションツールです。>したがって、私たちは、自分の知っていることを100言語化して他者に伝えることが原理的にできません。>つまり「言葉」によるコミュニケーションでは、常に「大事な何か」がダラダラとこぼれ落ちている可能性がある、ということです。

 

それはありますね。

 

 

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