メディアの病 3/4

 

>しかし伊丹のような声は戦後の空気の中で少数で、「われわれは被害者だった」「騙されていた」という大合唱に日本は呑み込まれた。 >無謀な戦争に突入してしまったのはひとえに軍部という「加害者=悪」の責任であって、自分たちには責任がなかったのだという認識が世論として定着した。 

 

そうですね。風評被害のようなものですね。人々は犯人探しに熱中していましたね。そして、軍部を見つけて成功しましたね。それから、自分には責任のないことになって禊 (みそぎ) をすませましたね。安堵しましたね。日本人にはもともと責任がないのである。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪には問われない。彼らには、殺意というものがないからである。無い責任を有ることにして、それを何処に押し付けるかの問題にした時に混乱が起こる。だから、日本人が責任の所在を問題にした時には、まともな解決法はない。 悲劇が起こる。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

>355863 戦後メディアの病② 弱者を装う  >根木貴大 ( 45 静岡 営業 ) 20/04/19 PM10 【印刷用へ】 >リンク

>■市民や庶民という「政治権力に抑圧される弱者」に装うこと

>私 [佐々木俊尚] は2012年の著書『「当事者」の時代』(光文社新書)で、「マイノリティ憑依」という概念を提示した。>「マイノリティ憑依」は、弱者に寄り添うといいながら、自分に都合の良い幻想の弱者像を勝手につくりあげ、その幻想の弱者に喋らせ、弱者を勝手に代弁することである。

 

そうですね。日本人にお馴染みのシャーマンのような存在ですね。

日本人には現実の内容しかない。だから、人によってはたった一つの世界の中で二つの現実を演じる人がいる。それがシャーマンである。

 

>メディアは自分の狙った物語を描こうとキャッチーな場面を撮影し、その物語に画面をはめ込もうとする。>そこには第三者であるメディアの想像が繰り込まれてしまっている。 

 

メディアには、売れるものが必要だからですね。

 

>このマイノリティ憑依については「佐々木が弱者を無視しろと言っている」「弱者への差別だ」と誤解して非難する人がときどき現れてくるが、そうではない。 >逆に弱者の本来の発言が無視されてしまい、彼らの存在そのものが他者に奪われてしまう問題をマイノリティ憑依は孕んでいるのだ。  

 

そうですね。マイノリティはメディアの ‘出し’ に使われているのですね。

 

>サバルタン [subaltern: 従属的社会集団] という言葉がある。「みずからを語ることのできない弱者」というような意味だ。>サバルタンはもともとは社会の支配階級に服従する底辺層を指した。

>歴史は常に支配階級によって書かれ、社会に受け入れられていくのに対し、底辺層サバルタンの歴史はいつも断片的で挿話的なものにしかならず、つまりサバルタンはみずからの力でみずからの歴史を紡ぐことを許されていない。>つまりサバルタンの歴史は、つねに自分たちを抑圧する支配階級によってのみ語られ、書かれてしまうという矛盾した構造をはらんでいる。>サバルタンは西洋と東洋、宗主国と植民地といった対比で使われるが、日本の戦後メディアと弱者の関係はサバルタンの構図に類似している。 >メディアは弱者の側に立つと称して勝手に代弁し、加害者=悪を糾弾する。

 

メディアが従属的社会集団に代わって犯人捜しをするのですね。

 

>現実世界での金や地位、支配力などの物理的な強弱はともかくも、インターネットも含めたメディアの空間では、弱者こそが最も「力」が強い。>なぜなら弱者を正面切って批判するのは難しく、非難を浴びやすいからだ。 

 

弱者は受け身に終始する人達であるからですね。 

 

 

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