教科書 1/4
>以下(http://www.fujitsubame.jp/jiyuu308.html)より引用します。
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>大人になったら、何になりたい。 >この質問こそ、問題意識の原点だ。
そうですね。問題 (matter) ですね。
>子供の頃は、いろんな夢があったのに、なぜ、学校に行く間に、夢は、色あせ、画一的なものになっていってしまうのだろうか。
そうですね。わが国には何でもある。ただ、夢と希望だけがない。
> 感動を押し殺し、偏差値や成績という数字の中に子供達の心や夢を封じ込めていってしまうからだ。 >子供達は、現実社会に夢を持てなくなってしまっている。
そうですね。子供たちは、序列メンタリティの中に子供たちの心や夢が封じ込められていますね。彼らは、人間序列の中の序列人間になっているのですね。
日本語には階称 (言葉遣い) というものがあります。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断を正しくしないと、日常会話にも差支えが出るほど大切な判断です。
世俗的な上下判断を正しく行うために我々の社会では偏差値や成績という数字が利用されています。
>これもまた、教育の成果。
そうですね。わが国の教育は、人間序列を定めるための手段として使われているからですね。
>問題意識というのは、問題を認識し、問題を作るところから始まる。
そうですね。Black Lives Matter は ‘黒人の命の問題’ ですね。
>現実の世界は、写真のように制止しているわけではない。
そうですね。静止している世界は非現実 (考え) の世界の内容ですね。
>出された答えよりも、答えを出す過程の方が重要なのである。>それが、問題意識である。
そうですね。解法を示すことが回答になりますね。
>それは、カメラのようなものではなく、テレビのようなものである。 >答えは、一定ではなく、条件の変化によって絶え間なく、変動している。 >それが、現実である。
そうですね。黒人の命は現実の中で変化しつつあります。
>今、正しくても、次の瞬間には、間違った答えになることがある。
今は間違っていても、次の瞬間には正しい答えとなるようにしたい。
>それ故に、間違いは、誰でも、犯す、可能性が、あるのである。
正しさの分かる人間には、必ず間違いがついている。
>それ故に、答えよりも、問題の設定に誤りがあったかどうかを、検証することの方が重要なのである。
そうですね。黒人の命を問題にすることが適切であるかどうかですね。
>教科書は、聖書ではない。>また、現実の世界は、教科書に収まる世界ではない。
そうですね。非現実 (考え) の世界は不動です。現実の世界は千変万化しています。
‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)
>実際の世界は、教科書には書かれていない、教科書には書けないことに満ちている。
そうですね。現実の世界は動いている。その内容は、実況放送・現状報告により時々刻々と報じられています。ナウな感じのする世界です。
>ところが、学校においては、教科書は絶対である。
考え (非現実) の内容は動かせない。動かすと相手にその矛盾を突かれ信用を損ないます。
>学校では、教科書に書かれていることには、何の矛盾もなく、間違いもないと信じ込ませる。
‘ゆめゆめ疑うことなかれ’ ですね。質問を禁じなければ先生が答えに困るからである。
>それを実行しているのが、学校の先生である。 >なぜならば、試験制度下においては、試験の原典である教科書は、絶対でなければ都合が悪いからである。
先生は、御都合主義ですね。しかし、日本人全体もご都合主義ではないでしょうか。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。
>こうなると、目的より、手段の方が重要になる。
手段の目的化ですね。混迷する人生の始まりですね。
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