共感圧力 2/2

 

> 僕はそこには「共感」を過剰に求める社会的風潮が与っていると思います。

 

そうですね。なあなあ主義ですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。 

 

>もともと同質化圧の強い日本社会にさらに「共感」とか「絆」とか「ワンチーム」とかいう縛りがかかっている。 

 

日本人には自己主張がないのであるから、’共感・絆・ワンチーム’ が頼みの綱になりますね。

 

>そのせいで、もう息ができないくらい生きづらくなっている。>そういうことじゃないんでしょうか。

 

そうでしょうね。わが国は、礼儀正しい人々の住む ‘堅ぐるしい社会’ ですね。  

 

>  たまに電車の中で高校生たちが話しているのを横で聴くことがあります。>すると、ほんとうにやり取りが早いんです。 >超高速で言葉が飛び交っている。 >打てば響くというか、脊髄反射的というか、とにかく「言いよどむ」とか「口ごもる」とか「しばし沈思する」とかいうことが、ぜんぜんない。 >  でも、これは異常ですよ。 >  この若者たちは、たぶんそういう超高速コミュニケーションが「良質のコミュニケーション」だと思っているんでしょう。 >でも、それは違うと思う。 

 

そうですね。日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。とかくこの世は無責任となっている。    

 

>そんな超高速コミュニケーションができるためには、そのサークルにおける自分の「立ち位置」というか「役割」というか、「こういうふうに話を振られたら、こういうふうに即答するやつ」という「キャラ設定」が確定していないといけない。 >でも、これはすごく疲れることだし、疲れるという以上に大きなリスクを含んでいます。 >  もちろん、打てば響くコミュニケーションは当座は気持ちいいですよ。 (略) >でも、それは「初期設定をいじるな」という無言の命令とセットなんです。 >与えられた役割から踏み出すな、決められた台詞を決められたタイミングで言え、変化するな。 >そういう命令とセットなんです。 

 

我々には、ぶれない内容が必要ですね。つまり、自我の確立が必要ですね。

非現実 (考え) の内容は、時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の ‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容もその中にあります。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になることができます。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。

日本語には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実をただ垂れ流す。だから、個性がない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、自信も無く相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあるのだが、世界に属していない。 

 

 

 

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