新学習指導要領 2/2

 

> 社会を生きる上で倫理観は大切ですし、お金に関する能力や将来に備えて行動することは重要な力です  

 

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない’。 (カレル・ヴァン・ウォルフレン)  

日本人は無哲学・能天気ですからね。特に言語の教育が必要ですね。それには、英米流の高等教育が適当な方策ですね。この教育は哲学 (非現実) の内容を創造する教育ですね。これを日本語でやったら失敗します。だから、日本の大学生は4年間をキャンパスで遊んで過ごさなければならなくなっています。英語が大切です。英語のカタカナ書きは不適当です。カタカナ書きは日本以外のどこの国でも通用しません。必ずローマ字 (alphabet) 書きにすべきです。日本人の英語に国際性を持たせましょう。

 

> ◆チームで働く力

> 「発信力」「傾聴力」「柔軟性」「情況把握力」「規律性」「ストレスコントロール力」など、変化に対応し多様な人々と連携し、信頼関係をつくっていく力を「チームで働く力」としています。  

 

日本人には世界観がない。個人的な遠い未来の内容が想定外になっている。だから、’我々は何処に行くのか’ という哲学的な命題を発想する能力がない。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

 

> 会社組織、地域社会、親戚関係など生きる上で集団に適応して生きるのは人間本来の強みであります。

 

日本語には階称 (言葉遣い) というものがあり、世俗的な序列判断は日常会話にも欠かせないものになっています。  

日本人の礼儀作法も序列作法になっていて、日本語の言葉遣いと相まって日本人の日常生活は堅ぐるしいものにしています。  

当然なことながら、日本人は序列人間であり、その序列人間が序列社会を作っています。これまで、日本人は序列社会の中で自分自身の義理 (序列により生ずる義務) を果たして生きてきました。義理を果たすことには日本人の生きがいになっていました。世俗的な序列順位の昇進に期待が持てたからです。今は、派遣社員の世の中になってしまったので日本人の労働意欲は下がるばかりです。  

 

> 最近はフリーランスや起業し独立する人が増えていると言われますが、人はチームの一員という役割は何かしらもっているので、子どもたちにも集団と折り合って生きていく力を身につけさせたいところです。  

 

日本人には世界観がない。だから、世界観を共有して生きる人間の社会を形成することが難しい。同じ夢を追いかける政治集団ができない。だから、なれ合いで行く。国会議員は離合集散を繰り返している。手段の目的化が起こっているからであろう。なあなあ主義になる。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることです。 

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない’。( グレゴリー・クラーク) 

 

>  ◆前に踏み出す力

> 「主体性」「働きかけ力」「実行力」など変化に前向きに捉え、主体的に行動する力は予測不可能な人生を生きる上でとても重要です。 

 

そうですね。意思が必要ですね。意思のあるところに方法がある。Where there’s a will, there’s a way. ところが、日本人には意思がない。能動がないので、受動ばかりの生活になる。後追いの生活では、他人に先んずることは難しい。

 

> 受け身でいると「損をするポジションで身動きができなくなる」という可能性も十分あります。 

 

そうですね。他人の後追いばかりでは立つ瀬がありませんね。 我々日本人は、自己の意思を表現する必要がありますね。 

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。  

 

>自分からより良いものを求めて「前に踏み出す力」は重要です。

 

そうですね。だが、日本人にはその意思がない。その打開策として、我々は言語の達人になる必要があります。さすれば、我々は国際社会の指導者になれます。 

 

(略)