小名木善行氏 1/4

 

>実は日本が築いていた世界のかたちとは >2020/08/17

>歴史

>日本は昭和20年8月15日に戦いの矛をおさめたが、日本が東京裁判によって東亜諸国を侵略したとして裁かれていた、まさにそのときに、東亜の諸国は再び植民地支配しようと戻ってきた(東京裁判で日本を侵略国として裁いていた)諸国と、東亜の諸国は果敢に戦っていた。 >大東亜の戦いは終戦の日以降も続いていたのだ。

 

そうですね。わが国が、刀折れ矢尽きた後の戦いですね。 

 

>インドネシア独立戦争 >20200816 インドネシア独立戦争

(略) >小名木善行です。>お時間のある方は、是非、下の動画 (略) を御覧いただきたいのですが、この動画の中で加瀬先生が、「日本は昭和20年8月15日に戦いの矛をおさめたが、日本が東京裁判によって東亜諸国を侵略したとして裁かれていた、まさにそのときに、東亜の諸国は再び植民地支配しようと戻ってきた(東京裁判で日本を侵略国として裁いていた)諸国と、東亜の諸国は果敢に戦っていた。 >大東亜の戦いは終戦の日以降も続いていたのだ。」との指摘をなさっておいでになります。

 

それは、わが国の戦争ではありませんね。東亜諸国の戦いですね。わが国はすでに敗れました。  

 

>これはとても重要な指摘です。 >終戦記念日特別番組第二弾!! 日本はいかに『理想の人種平等の世界』を作ったのか?! 加瀬英明 中村功  

 

わが国の人種平等は建前 (口実・言い訳・言い逃れ) でしたね。帝国の中では差別があった。

 

>先の大戦について、大東亜戦争という呼称を禁じ、太平洋戦争(The Pacific War)と呼ぶことを強制したのはGHQ(General Headquarters)です。

 

そうですね。力は正義 (Might is right.) ですね。   

 

>米国では「The War in the Pacific」と呼ばれますが、英国では「極東戦争」と呼ばれています。 >クリストファー・ソーン(Christopher Thorne)やA・J・P.テーラー(Alan John P. Taylor)など英国の歴史家たちは、「先の大戦は、日米間で使用されている太平洋戦争では、戦争の地理的・地政学的側面の性格づけが、とくにその広範囲にわたる影響に関してはほとんどなされていない。 >日本はアジアにおける英国の勢力を駆逐するために戦争を始めたのであり、結果として英国は植民地を失い敗北したのだから、極東戦争、あるいは日本が用いている大東亜戦争と称することが適切である」と指摘しています。 >また日本においても、国際政治学者の柳沢英二郎氏や、加藤正男氏などは、「日米戦争は西太平洋の覇権をめぐる闘いとしての戦争であり、日本にとっては東南アにおける勢力圏確立のための手段であったのだから、『アジア・太平洋戦争』と呼ぶべきである」との指摘をしています。

 

人により考えはまちまちですね。矛盾を含んでいない文章は全て正しい考えを表しています。だから、正解は一つではありません。幾らでもある。  

 

>そもそも戦争というのは、単一の目的によって行なわれるものではありません。 >さまざまな事象が折り重なって、外交上の最後の手段として行われるものです。 >そしてこの時期、日本は有色人種として、唯一の独立国家であり(タイも独立を保っていたとはいえ、ほぼ完全に英国の指揮下にありましたから、すでに完全な独立国とは言い難い)、かつ国際政治上、きわめて大きな勢力を持つ国になっていました。 

 

そうですね。ただ、日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。  

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)      

 

(略)

>日本が欧米諸国から追い詰められるようになった原因は、第一次世界大戦後に開催されたパリ講和会議(1919年・大正8年)において、日本が国際連盟憲章に「人種の平等を入れるべし」との案を正式に国際舞台に出したことに起因します。 >これは人道的には正しい議論です。>しかし、植民地支配によって富を得ていて、かつ政治的な影響力が大きい欧米諸国の経済人すべてを敵に回す発言であったわけです。>それまで世界最強の海軍国である大英帝国と対等な同盟関係を結んでいた日本は、これによって欧米諸国(の大金持ちたち)にとっての明確な「敵」となりました。>一方で有色人種諸国からの日本への期待も高まりました。 

 

日本は賢明な人の国と考えられていたのですね。  

 

>これも上の動画 (略) のなかで加瀬先生が述べられていますが、昭和5年(1930年)当時、独立を守ろうとしていたエチオピアの王子が、日本の華族出身の黒田雅子さんと婚約に至ったことがありました。 >それだけ日本に対する期待が高かったのです。 

>しかし、当時大評判になったこの婚約は、残念なことに欧米諸国の猛烈な反対によって破談になりました。  

 

それは、残念でしたね。  

 

 

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