小名木善行氏 2/4

 

>なかでもイタリアのムッソリーニは、強硬に反対を唱えていたのですが、なんとそのムッソリーニは、破談の5年後の1935年(昭和10年)にエチオビアに侵攻、使ってはいけないはずの毒ガスを用いてエチオピア軍を壊滅させ、エチオピアを植民地にしています。

>こうした欧米列強による理不尽が次々と行われる中、日本は大東亜共栄圏構想を打ち上げ、東亜諸国の独立と発展を標榜していき、ついに先の大戦に至るわけです。 

 

我々日本人の戦争はそのようには理解されていなかったですね。

何時もいつも ‘我が大君に召されたる、、、、’ でしたね。神様が大切でしたね。神社の前を通るたびに毎回拝んでいましたね。軍歌は沢山あったけれども東亜諸国の独立運動の内容などなかったですね。  

 

>500年続いた植民地支配を守ろうとする欧米諸国と、結果として植民地の解放を意味する人種の平等を目指す日本。 >この両者の溝は、ますます深まっていったのです。

 

今でも日本人は、人種差別撤廃に熱意を示しているようではありませんね。特に黒人の権利を守ろうとしている国のようにも見えませんね。混血児の住みにくい国ですね。   

 

>そして昭和16年、ついに戦争になる。>戦争は、日本国中が焼け野原になって、昭和20年8月15日に日本は自主的に戦闘を終結させました。 

 

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇) 

彼を知り、己を知れば、百戦危うからず。(孫子・謀略) 

 

>けれど、それで大東亜の戦いが終わったわけではありません。>東亜諸国は、日本が敗れたあと、再び自国を植民地支配しようと戻ってきた欧米諸国と果敢に戦い、ついにそれぞれの国が独立を手にしています。 

 

それは、日本の戦争ではありませんね。日本人には世界観がない。   

非現実の内容は、時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。  

 

>並べてみると以下のとおりです。>インド、パキスタンインドネシア独立記念日が昭和20年年8月17日 >ベトナムの独立が昭和20年9月2日 >フィリピンの独立記念日が昭和21年7月4日 >ビルマ独立記念日が昭和23年1月4日 >スリランカ独立記念日が昭和23年2月4日 >韓国の独立記念日が昭和23年8月15日 >北朝鮮独立記念日が昭和23年9月9日 >台湾の独立記念日が昭和24年12月7日 >カンボジア独立記念日が昭和28年11月9日 >ラオス独立記念日が昭和29年7月19日 >中共独立記念日が昭和29年10月1日 >マレーシアの独立記念日が昭和38年9月16日 >シンガポール独立記念日が昭和40年8月9日 >バングラディッシュ独立記念日が昭和46年3月26日 です。 >これら諸国は、日本の終戦以後、再び舞い戻ってきた欧米諸国とそれぞれ独立記念日以後も果敢に戦い、勝利し、そしてようやく独立を果たしました。 

 

この中で、韓国・北朝鮮・中国は、わが国に自国の独立に関する感謝をしていないようですね。  

 

>たとえばインドネシアでは、独立宣言は日本が戦いを終了した翌々日ですが、オランダはこれを認めずに再植民地化を図ろうと英国の協力を得て軍事侵攻しました。 >この戦いは、昭和24年(1949年)12月のオランダ-インドネシア円卓会議によるオランダからの無条件での独立承認の日まで、まる4年間も続いています。 >そしてこの戦いで、インドネシアに残留した日本軍人3千人のうち、およそ千人が命を失ないました。 

 

外国の為に働いて戦後に命を失った日本人は少なくないようですね。  

 

>ちなみにこのとき、インドネシアにいた華僑は、むしろオランダ側に加担してインドネシア人に銃を向けたのは有名な話です。  

 

華僑の祖国はインドネシアではないのでしょう。  

 

 

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