小名木善行氏 3/4

 

>国家というものは、軍事的な戦いによって独立を勝ち得たとしても、それだけで国ができあがるわけではありません。 >国家が国家として成立するためには、国を営むための行政機構の整備や法整備、経済的繁栄を支えるための経済、財政政策などが必要です。

>これはたとえていえば、生まれたての赤ちゃんに、母親がいないと子が生き残れないのと同じです。 >ひとあし早く戦争を終結させていた日本は、まさに東亜諸国の母となって、各国の支援を行い、それぞれの国の法整備、行政機構の整備、企業誘致、観光資源開発などに、莫大な援助を行ないました。 >そしてその行動は、まさに母と同じく、無償の、ただ一方的な愛情によるものでした。

 

わが国が破壊した後の外国の再建は、わが国の償いとして必要ですね。  

 

>東亜諸国のこうした独立への動きは、そのままアフリカの黒人諸国や、中東諸国にも伝播していきました。  

 

戦後を境にして植民地の独立は世界的な傾向になりましたね。それには白人の理解が進んだからでもあるのでしょうね。    

 

>1900年のパリ・オリンピックの参加国は、世界24カ国です。 >これは参加しなかった国が多かったのではなくて、世界にそれしか国がなかったからです。 >たとえば、いまのインドネシアからベトナムラオス、などのあたりは、フランス領インドシナという名の、フランスの一部の地方であり、インドは英国領のなかのインド地方でした。 >ところが今年行われるはずだった東京五輪では、参加国は207カ国です。 >これは、世界中のそれぞれの有色人種諸国が独立を果たした結果です。 

 

これは、人類の進歩でしょうね。   

 

>そしてその独立の背後には、日本による無償の、また無私の努力と、日本人の激しい戦いがあったのです。 

 

連合国は賠償をわが国に求めなかったからでしょう。中国は一帯一路の計画のもとに低開発諸国と経済協力を進めていますね。  

 

>20世紀における最大の出来事とは何でしょう。 >それは「500年続いた植民地支配の終焉」です。 >そしてこれを実現したのは、間違いなく日本です。 

 

独立運動に関する世界的に偉大な人物はガンジーのような外国人ですね。わが国には人種差別撤廃に貢献した偉大な人物がいませんね。日本人には世界観が無いので、世界のあるべき姿を提唱する自信が湧かないでしょうね。だから、世界の指導者になるのは望み薄ですね。。   

 

>もし、日本の戦いがなければ、おそらく21世紀となったいまでも、世界は欧米列強による植民地支配のままに置かれていたことでしょう。 

 

それも、’タラレバ’ (仮定) の話ですね。それを話し出したらきりがないでしょう。話は自由奔放になりますね。     

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎・上> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。(p.54)

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)  

 

>いまなお、白人の贅沢のためだけに存在する、私権の認められないただの家畜、それが有色人種に与えられた地位となっていたことでしょう。 >日本は世界の良心ともいえる国です。

 

お言葉ですが、下記のごとき観察もあります。    

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)  

ですから、我々はともすれば自己慶賀に陥りやすいのではないでしょうか。

 

 

 

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