歴史修正主義 2/2

 

>さらに言えば、彼らの不満は、「モノを言う弱者」と彼らが勝手に思い込んできた人たちから厳しく責め立てられることで、さらに強いいら立ちや恐れ、感情的な反発を呼び起こしてきたようにみえます。>嫌韓」本は世にはびこりますが、「鬼畜米英」本はまず見当たりません(ここには、加害と被害の過去が同居する、日本の「戦後」が抱えたもう1つのこじれた現実も投影されています)。 

 

日本人は韓国を嫌い、米英を好んでいますね。’鬼畜大好き’ ですね。  

 

> 思い起こせば、こうした現象が人口に膾炙(かいしゃ)した1990年代後半、日本は「失われた10年(否、20年、30年!)」の入り口に立っていました。>バブルがはじけ、政治は不安定を極め、就職氷河期と言われ、社会のレベルでも個人のレベルでも、徹底的に自尊心が傷つけられた時期でした。  

 

そうですね。わが国から成功物語が遠のいてしまった時ですね。

 

>そんなとき、〈自分は悪くない、責めるな〉〈日本は悪くない、誇りを持て〉といった文句は、たしかに慰めのメッセージに聞こえたのではないでしょうか。 >ときに痛快に響いたことでしょう。 

 

そうですね。落ち込んでいるときには、慰めが必要ですからね。  

 

>しかも、一面で責任論をめぐる国際社会のダブルスタンダードを突いていたのはたしかであって、曲がりなりにも論理を装うことができました。>もっともらしく聞こえたことでしょう。 

 

対症療法ですね。いずれ麻酔はさめることでしょう。  

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎・上> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。(p.54)

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)  

 

>■現代史の大きな流れの中で歴史問題を捉える

> さて、私がここで述べてきたのは、歴史研究の基本から得られる見方でした。 >身の回りで起きている特定の現象の意味や性格を、より大きな歴史的文脈に位置づけて読み解く、世界史のリテラシーです。 >現代史の大きな流れの中で今日の歴史問題を捉えれば、焦点はつねに加害の歴史にあることが、実に明確な姿となって浮かび上がってきます。 >そうした加害の歴史に、どう向き合うのか――。  

 

何よりも事実を求めるべきですね。それには、過去の人達の責任をその子孫に復讐しないことが必要ですね。博物館に略奪品の山を見ても、それを我が方に取り返そうと思わないことです。さすれば、過去の加害の事実は公に認められやすくなるでしょう。これが真実を求める人類の知恵というものだと思いますよ。    

 

> 少なくとも、そういう問題の所在をきちんと押さえておけば、思慮と分別を持ち合わせたふつうの“大人”――年齢や立場ではなく、社会的責任を担うと自覚のある人という意味で――たちが、歴史修正主義者が弄する詭弁に惑わされ、足をすくわれることはなかろうと思うのです。

 

そうですね。事実を求める人たちの世の中には徳政令 (借金の棒引き) が必要ではないでしょうか。過去の加害事実を明らかにして、その事実を恨まない事。これで歴史への勉強のみちが開けます。  

日本人には非現実 (考え) の内容がありません。ですから、’現実 vs 現実’ の比較しかできません。すると、’上と見るか・下と見るか’ の議論になって序列人間は熱中することになります。上下判断に嵌って身動きが取れません。世界の動きから取り残されることになりかねません。ですから、我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、考えの幅を広くすることが必要ではないでしょうか。具体的には、序列メンタリティから脱して、自己の意思と自己の世界観を得ることが必要です。さすれば、その発想の転換は自分自身を救うこともできるし、世界平和にも更なる貢献ができるようになると思いますね。  

 

 

 

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