先の大戦 1/2

 

>歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに  >小名木善行です。>早いもので、もう8月のみそかになりました。

>8月はどうしても戦争に関する記事が多くなりますが、先の大戦を振り返るとき、やはり天皇による終戦の御聖断が、その後の日本と世界にきわめて大きな影響をもたらした。>このことは、私達はあらためて大事なこととして学ぶべきことであるように思います。  

 

そうですね。天皇による敗戦の決断により日本国民の一億総玉砕は避けられましたね。ありがたいことです。もっと決断が早ければ犬死をする人も少なくて済んだことでしょう。何しろ、テクニカル・ノックアウトの状態の戦闘がミッドウェイ海戦 (1942.6.5-7) の後長く続きましたから。    

 

>第二次世界大戦の始まりは、昭和14年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻からとされています。  

 

ドイツは植民地支配に反対して開戦したのではないですね。  

 

>日本が参戦したのは、それから2年以上も経った昭和16年12月8日のことです。  

 

日本がドイツと共闘を始めたのは、御都合主義 (機会主義) によるものでしたかね。   

 

>その2年間日本が何をしていたのかというと、ひたすら戦争回避の道を探っていました。 >つまり日本は、それほどまでに戦争回避を願っていたということになります。  

 

わが国は、‘他力本願・神頼み’ でしたかね。 日本人は言葉が不自由なためでしょうかね。静観が得意ですね。  

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」 

 

>では、最終的に日本がこのとき、戦争に突入しない道はなかったのかといえば、答えはNOです。  

 

何か運命論のような感じがしますね。’死ぬしかない’ といった感じですね。 

これは、日本人の思考停止の状態に問題があるのではないでしょうか。 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は ‘理解’ をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。 

 

>日本が大陸における利権のすべてを放棄し、欧米諸国の有色人種国のすべてに対する植民地支配を認め、かつ彼らのために戦うという道を選んでいれば、日本に生き残りの可能性はあったかもしれません。  

 

相手の提案を全て呑むのではなく、我が方からも対案を出していろいろと議論を重ねるべきでしたね。話し合っていれば戦争は避けられたかもしれません。  

 

>しかし、もしそのような道を日本が選択していれば、間違いなく言えることは、21世紀になった今日においても、世界は欧米諸国による植民地支配が行われていたでしょうし、有色人種には一切の私権が認められず、白人諸国の奴隷、もしくは家畜として生きるしか選択肢がない状況が続いていたでしょう。  

 

欧米諸国の要求を丸のみしなくてもある程度譲歩をすれば、敗戦に陥るよりは我が方の損害が少なくて済んだことでしょうね。  

 

>このことは、有色人種であれば、人としての尊厳が認められず、あくまで家畜としてのみしか生きることが許されないことを意味します。>家畜であることを拒否すれば、待っているのは死だけです。   

 

家畜・社畜には希望がありませんね。 独断専行することなく考えの幅を広く持つことが必要ですね。それには英米流の高等教育が役に立つことでしょう。さすれば、人間としての尊厳も増すことでしょう。      

 

 

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