派閥の連合政権 2/2

 

あるのは人間序列の内容ばかりですね。残念ながら政治哲学がない。

非現実 (考え) の内容は、英語では時制 (tense) のある文章により表されます。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表されます。その内容は世界観 (world) と言われています。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態であるが、人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行くことになります。

‘あるべき姿’ (things as they should be) は非現実の内容であり、 ‘今ある姿’ (things as they are) は現実の内容である。非現実の内容は、過去の世界から見た未来 (過去未来) の内容として表現されます。現実は、実況放送・現状報告の内容であります。

自己の考えの内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になることができます。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語には時制がありません。ですから、日本人には世界観がありません。そして、日本人には批判精神がない。政治家もマスコミもただ現実を垂れ流します。子供の作文のようなものです。現実の内容には個性がない。だから、候補者選びもただの肉体の選出になります。本人にも相手にも何を考えているのかわからないから、相手からも信頼されません。協力者が得られないので、社会に貢献する度合いが限られています。  

 

> (中略)

> 【総裁へのステップと内閣改造で存在感】

>  自民党結成の55保守合同そのものが吉田自由党と鳩山日本民主党の2大潮流があり、党そのものが最初から一つの政党というより派閥(実質的政党)の「保守連合」の趣がありました。  

 

一つに束ねられた縦割りの構造ですね。  

 

>一般に吉田系が「ハト」(穏健)、鳩山系が「タカ」(強硬)とみなされてきています。 >  こうした政策的な違いに加えて派閥は1947年から93年まで続いた衆議院議員総選挙で採用されていた中選挙区制(1つの選挙区からおおむね3人から5人を選出)が存在感を増す理由となっていました。>55年体制から93年の総選挙で敗れるまで自民党は83年~86年の新自由クラブとの連立を除いて単独与党でした。 

 

一強多弱の状態でしたね。  

 

>過半数維持のためには3人区で1人ではダメで2人当選を目指します。>4人区、5人区となるとさらに当選者を増やさなければなりません。>同じ選挙区で自民党同士が争うわけです。

 

政治哲学がない人達には、政治音痴の戦いが必要になりますね。   

 

> (中略)

>  中選挙区制度下の自民党は政権が行き詰まるとカラーの異なる別派閥の領袖を立ててイメージを変えるという疑似政権交代をしばしばやってきました。 

 

祭りごとには気分・雰囲気の転換が必要ですね。  

 

>タカ派の岸内閣が60年安保条約改定と引き換えに辞任するとハト派池田勇人氏に代わったり、田中首相(佐藤派の流れ)が金銭スキャンダルで追われた際には「クリーン三木」として清潔イメージがあった三木氏を押したりといった具合です。 >田中氏と福田氏のようにガチンコ対決で生きるか死ぬかの抗争を展開した例もあります。  

 

無哲学・能天気の戦いですね。日本人は建設的な協力ができませんね。   

 

>  いずれにせよある領袖が総裁(単独政権下ではイコール首相)になると他派閥は少しでも内閣に自派の議員を押し込もうとします。 >総裁(=首相)もある程度は飲まないと足下が不安定になるので各派閥の推薦リストに沿って受け入れてきました。 >内閣改造も同じで当選回数を重ねた「適齢期」の議員を内閣に入れてバランスを取ります。 >この手法は述べ約150人もの大臣を「製造」した吉田氏以来の伝統でした  

 

現実にとっぷりと浸かった戦いですね。このような状態では先の見える戦いにはなりませんね。わが国の先行きが思いやられます。教育を改革して偉大な政治家と有権者を育てよう。  

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制のある考えの幅を広げる必要がありますね。さすれば、我々は自己の意思の表現も可能になり、自己の世界観も公表が可能になります。国際的にも日本人対する理解が増して、未来社会の建設にも協力者が得られます。かくして、我々は人類の進歩に大きく貢献することになるでしょう。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)    

 

>(後略) 

 

 

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