伊勢雅臣氏 5/5

 

(4/5より)

>絶体絶命の状態の下で戦っているわけでもない強大国が、既に事実上戦争に勝っているというのに、一秒で12万人の非戦闘員を殺傷できる新型兵器を行使するほうがはるかに恐ろしいことではないのか。 >山下将軍(JOG注: 残虐行為の責任者として処刑された[d])の罪は、なぜ広島・長崎に原子爆弾の投下を命じたものの罪よりも重いのか。

 

それも彼がひとえに敗軍の将軍であったからでしょう。正義は常に勝者の側にある。そのために戦争をした。 議論で決められるものは戦争にはならない。     

 

 >私たちは他国民の罪だけを告発し、自分たちが民主主義の名の下に犯した犯罪は自動的に免責されると思っているのだろうか。[2,p128]

 

歴史は常に勝者により書かれるものですからね。だから、戦争にはどうして勝たねばならないのです。  

 

> ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

> 米国が原爆投下による12万人もの非戦闘員殺傷という「罪」に頬被りしている事を見れば、ベネディクトの言う「罪の文化」という概念がいかに嘘偽りに満ちたものか、見てとれよう。

 

罪の頬被りは難しいですね。印欧語族なら罪は必ず出て来ます。日本人なら過去は幻となって疾く風化します。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

 

> 日本人が伝統的に軍国主義者であったという事実認識は誤っているとし、それは欧米列強の姿が日本という「鏡」に映っただけだ、というのが、ミアーズの主張であった。

 

日本人は真剣勝負を好みますね。日本人は、序列メンタリティ (考え方) からは逃れられませんね。  

 

> 占領軍は、ミアーズの本の日本での出版を許さなかった。>その指摘がベネディクト以下の日本「軍国主義」というプロパガンダの嘘を暴いていたからだ。

 

戦後のどさくさに紛れていたのですね。力は正義ですからね。Might is right. 冷静に考えれば、話はまた別になりますね。でも、日本人は、あくまでも力による決着を望んでいましたね。アメリカは自由の国です。日本は不自由な国です。不自由を常と思えば不足なし。     

 

>■8.70年前のプロパガンダからの脱却

> 日本「軍国主義」という、今も中国・北朝鮮・韓国が一つ覚えで使う批判は、こうして70年も前の、アメリカのプロパガンダから生じている。 

 

日本の ‘軍国主義は、印欧語族の世界では共感の得られやすいプロパガンダですね。ですから、中国・北朝鮮・韓国は、それを自国の為に利用しているのです。     

 

>現代の国際社会においては、戦後の70年近い日本の平和な歩みを訴えれば、この批判は説得力を持ち得ないだろう。 

 

今日も学校に行けるのはアメリカさんのお陰です。  

 

> 問題は、事ある毎に「戦中に戻すな」などと主張する国内の偏向マスコミである。 

 

付和雷同する国民は今でも信用されていませんね。  

 

>いまだに70年前の占領軍による洗脳から脱することのできない偏向マスコミに対しては、マッカーサーから再び「日本人は12歳」と言われても、反論できまい。

 

日本人は思考停止の状態にありますからね。’受け売り専門の人’ になるより他に道がないのでしょうね。   

 イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)  

 

> 大方の一般国民がきちんとした見識を持って、こういう偏向マスコミを相手にしない、大人の社会を作っていく必要がある。

 

そうですね。我々日本人は、永遠の子供ではいられませんね。  

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを理解し利用する必要がありますね。さすれば我々も、自分自身の世界観を持つことができるし、自己の意思を明らかにすることも可能になります。英米流の高等教育を受ける時にも成果が上がり、’考える人’ (the thinking man) の育成が可能になります。我々は思慮深い人となって、国際社会からもより深い信頼を得られるようになることでしょう。広く世界中から協力者を得て未来社会の建設に尽力することができます。かくして、人類の進歩に多大な貢献ができることでしょう。    

 

>(文責:伊勢雅臣)

 

 

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