活力・国力 2/3

 

> 7年8カ月の安倍政権を眺めて来た国民が知ったのは、政治家であれ、官僚であれ、財界人であれ、メディアのトップであれ、彼らの行動は「国民全体の福利」をめざすものではないということであった。  

 

日本人には世界観がない。’来るべき世界’ の内容に関心を寄せる者がいない。   

非現実 (考え) の内容は、英語では時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神もない。マスコミも現実をただ単に垂れ流す。だから、個性がない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。

 

>彼らは自分の党派、自分の支持者、自分の縁故者、自分自身のためにその権力を活用する。  

 

そうですね。序列社会においては、政治家は自己の序列に連なる人間の事しか気になりませんね。   

 

>そのことを私たちは知らされ、受け入れてきた。>「権力を自己利益のために使うことができるということが、『権力を持っている』ということである」というシニカルな事大主義をいま人々は「リアリズム」と呼んでいる。

 

序列社会の弱点ですね。日本人には目の前の現実を批判することができない。それは批判精神がないからである。  

 

> 「勝ったものは正しかったから勝ったのだ。 

 

力は正義である。Might is right.

 

>多数を制した党派は真理を語ったので多数を制したのだ」という現実肯定の思考停止のうちに多くの日本人は埋没している。 

 

そうですね。日本人には現実しかない。

非現実 (考え) は、英文の時制のある文章内容になる。だが、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本人は思考停止の状態に陥っている。  

 

>そして、それが劇的な国力衰微の理由だったと私は思う。 

 

私もそう思いますね。使用言語に着目する必要がありますね。言語は伝達の手段であるばかりでなく思考の手段でもあるわけですからね。     

 

>実際に安倍政権が通した重要法案の多くは安保法制も、特定秘密保護法も、テロ等準備罪も、世論調査では国民の過半は「今国会で強行採決すべきではない」という意思表示をした。 >だが、政権はこれを強行し、支持率はいったんは落ちたものの、すぐに回復した。 

 

思考過程に問題があると、議論にも効果が上がりませんね。日本人は経験的にそのことを知っていて、議論を省略したがりますね。なあなあ主義に依存していますね。たとえ敵対している相手でもなれ合うしか方法がありませんね。だから、世の中は難しい。

‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

 

>つまり、有権者たちは「この政権は私たちが反対しても何の影響も受けないほどに強大な権力を有している。>そうである以上、服従すべきだ」という腰砕けな推論をし、それをして「リアリズム」と呼んできたのである。  

 

 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり)  

意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には神頼み。   

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。 (ウスビ・サコ)   

 

 

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