植松努氏 2/2

 

>だから僕は、自分にできることをします。  

 

自主独立の教育法ですね。ご成功を祈ります。  

 

> 僕の経験と、僕の思考を、子ども達に伝えます。 >やがて、その子達が、社会の主力になっていきます。 >そのとき、社会が変わるかも知れない、と思っています。

 

それは革命的な教育法でしょうね。成功の確信はないのですか。     

 

>10年、15年かかるでしょう。>だからこそ、やり続けるしかありません。 

 

具体的にはどのようにしてやるのですか。  

 

>国を支えるのは、人間1人1人の能力です。 

 

そうですね。個人の個性を重視した教育が必要ですね。個人主義の徹底が必要ですね。   

 

> 大人が、子どもを、自分たちの理解の範囲内に留め置くと、 子ども達は大人以下の存在にしかならないです。>それを繰り返すと、社会は衰退していきます。 

 

そうですね。それは、負のスパイラルですね。  

 

>いままでの日本では、人口増加が、その衰退を隠していただけです。

 

そうですね。わが国には ‘人手不足’ はあっても、’頭脳不足’ の話はついに聞かれませんでしたね。頭脳の事には関心のない人たちばかりですかね。      

 

>これからは、大人が、子ども達を、自分の理解の向こう側に押し上げる必要があります。>ていうか、ようするに、 (1)夢と希望を奪わない

 

そうですね。わが国には何でもあるが夢と希望がない。昔の人はこの現象を ‘時代閉塞’ と呼んでいました。否定の文章でいえば ‘夢と希望’ がない。肯定でいえば ‘時代閉塞’ があるということになります。要するに、その意味する内容は日本人の ‘未来が閉ざされている’ ということの指摘です。 

非現実の内容は、英語では時制 (tense) のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表されます。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態であります。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。しかるに、日本語の文法には時制がありません。だから、日本人には世界観がない。過去から現在へ、そして現在から未来への移動は日本人の脳裏では想定外になっている。だから、’時代閉塞’ があり ‘夢と希望’ がありません。

 

(2)あきらめかたをおしえない。だけでいいです。>この二つを、がんばっていくしかない、と思います。

 

日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思はなく仕方がないので無為無策でいる。諦観になりますね。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には他力本願・神頼み。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における ‘時制’ の有用性を十分理解して利用する必要がありますね。さすれば、自己の世界観を持つことができるので、諦観の人になることはありません。また、自己の意思を社会に対して明らかにすることにより、責任ある人間としての信頼を得ることができます。国際社会において協力者を得て未来社会の建設に励む機会が得られます。かくして、我々は人類の進歩に多大な貢献することが可能になります。

 

 

 

.