言語・非言語 1/3

 

>2020年09月18

>言われたことしかできない「指示待ち人間」が増えている。

>今の学校教育を見ていると当然だと思います。 >与えられた問題を教えたとおりに解くことを強いられ、問題そのもののに疑問を持つことは許されない。 >こんな教育を小・中・高と12年間も続けていれば、立派な「指示待ち人間」が出来上がります。> にほんブログ村 子育てブログへ

>以下(http://www.fujitsubame.jp/educationgg.html)より引用します。

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>言われて事しかやらないから、言った事しかやらない。

 

他人から言われた事しかやらないから、他人の言ったことしかやらない人になる。   

 

>そして、言ったこともやらない、言われたこともできない。

 

他人が言ったこともやらない人は、他人から言われた事もできない人間になっている。

 

>そして、必然的に言う人がいなくなったら、何をしたらいいか解らない。>何もできないと言う状態に落ち込む。 

 

自ら発想のできない人でね。  

 

>学校を卒業したら、先生がいなくなる。>行くところもなくなる。>どうしていいか解らない人間が続出する。>自由にして良いと言われても、主体性がないから自分がない。 >自分がない人間に自由にしろという事の方が土台無理なのである。

 

そうですね。自由とは意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ となる。だから、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままでいる。 

 

>自分がないから、自分では何も決められない。>決められないから意味もなく他人に追従する。皆がやるからやる。

 

付和雷同する人間が増えますね。   

 

>こういう人間が増えてくる事は確実である。>ここにも戦後教育の成果が現れている。 

 

戦前にも自分では何も決められない人間はいたのではないでしょうか。

 

>一体戦後教育は何を目的とし、何を理想として行われてきたのか。>自分で物事を考え決める習慣を付ける教育をしていない。 

 

考えることは難しいことですからね。  

 

>逆に、自分では何も考えずに、他人の言うとおりにするように躾けられている。>それが今の学校教育である。 

 

自分には考えの内容がない。自分は思考停止の状態にあるからである。     

 

>これはある種の洗脳教育だ。  

 

思考停止の状態にある人には洗脳教育が可能ですね。   

 

>しかも、この洗脳教育をしているのは、国家ではない。 >反体制勢力が、日本を支配する為にしている。 

 

体制派も反体制派も、共に日本語の為に思考停止の状態になっているのでしょう。  

 

>その結果、何も決められない人間が育っていく。 

 

日本人には、自分自身の考えがない。思考を停止しているからである。それで、他人から内容を注入されて受け売り専門の人になる。

だから、’あれではいけない・これではだめだ’ という。どうすればよいかは自分自身にもわからない。無責任発言というしかない。  

 

>日本人は、決まる前は黙っている癖に、決まってからなんだかんだと文句を言う。 

 

日本人には自分自身の構想 (考え) は無いが、自分自身の不平はある。駄々っ子のようなものである。ぐずって仕方がない。幼児症である。          

 

> 我々は、仕事をする上で「無駄口をきくな。」「話の話にするな。」「ガス抜きにするな」と厳しく躾けられてきた。>だから結論が出たら、「誰とやる。」「いつやる。」「いつまでにやる。」「何処でやる。」「それまでに何をやる。」「終わったらどうする。」と言う発想に切り替える。 

 

計画が決まれば、次は実行ですね。  

 

>しかし、今は、逆の発想が要求される。>一番多感な中学生や高校生時代に、単に与えられた問題を決められたとおりに解くだけの教育がされている。 

 

馬車馬のように突進する教育ですね。   

 

>問題意識を持ったり、答えに疑問を持つ事は許されない。 

 

考える人’ (the thinking man) になることは許されないのですね。   

 

>ただ与えられた問題を決められたように解き、予め設定された正解を出せば正しいという事になる。 >これは一種の条件反射である。 >パブロフの犬である。

 

そうですね。教育が条件反射を作る為の条件付け作業になっていたのですね。  

 

>予め設定された答えが正しいかどうかなど関係ない。 >その事に疑問が出す事はゆるされない。 

 

西洋人の哲学 (非現実) は、日本人の雑念 (現実) のようなものになるのでしょうね。   

 

>実際、惑星に対する定義は、途中で改められたが正式に改められるまでは、古い惑星の正義が正しく。改正された後は、新しい定義が正しいのである。  

 

矛盾が訂正されれば、さらに正しい答えが得られますね。矛盾の訂正により、人類の知識は限りなく進歩を続けますね。     

 

 

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