管理されたい病 1/3

 

>357992 コロナ禍でわかった、日本人が患う「管理されたい病」の重症度  >吉 四六 ( 会社員 ) 20/06/27 PM11 【印刷用へ】 >リンク

>(前略)

>  自分たちのイデオロギーに合わないものを「社会全体にとって害になる」と叩いて排除するというのは、全体主義に毒された人たちに見られる典型的な症状だからだ。 

 

ご唱和の世界に住んでいる人たちの症状ですね。  

 

>  わかりやすい例が、戦前・戦時中の「娯楽統制」だ。 >  みなさんの多くは、戦争中の映画やラジオ、演劇や落語などの大衆娯楽は、軍部による厳しい検閲によって弾圧された、というイメージを持っているはずだ。 >実際、テレビドラマや小説などでも、よくそういう話が描かれている。 

 

そうですね。厳しい検閲ですね。   

 

>  しかし近年の研究では、そういう単純な構図ではないことがわかってきている。  

 

日本人には意思がないですからね。だから、能動がなくて受動ばかりの人間ですね。責任の所在がはっきりしませんね。     

 

>金子龍司氏の「『民意』による検閲―『あゝそれなのに』から見る流行歌統制の実態」(日本歴史 2014年7月号)によれば、さまざまな検閲の後押しをした可能性のある「投書階級」という人々がいたことがわかっている。>といっても、この人々は何かの専門家ではなく、その正体は会社員、官吏、教員といった普通の市民だ。> 彼らはラジオから流れる曲が西洋クラシックだったりすると、「日本精神に反する」と怒りの投書をした。 

 

自己の気分・雰囲気・感情を書いて投書するのですね。我が民族の伝統である歌詠みのようなものですね。   

 

>流れる軍歌の歌詞が流行歌っぽいタッチのものだと、これまた「下品だ」とブチギレて投書をした。 >  要するに、令和の日本で木村花さんをSNSでネチネチとイジめた人々や、CMに不倫タレントが出ていると企業にクレームを入れるような人々とそれほど変わらないことを、80年以上前の日本人もやっていたというわけである。 

 

それは我が民族の伝統的な習慣によるものでしょうね。   

 

> 戦時中に国家権力を動かしていた「投書階級」という人々の存在 >  事実、SNSの攻撃でCMが放映中止に追い込まれたりするのと同じで、「投書階級」の影響も凄まじいものがあった。 

 

我が民族の伝統は変わりませんね。わが国では、万葉の時代から上から下まで皆が歌を詠む。   

 

>1938年にラジオ局に寄せられた投書は約2万4000件で、番組編成に影響を与えたという。 >それはつまり、このような「投書階級」たちの「社会全体にとって害になる」という主張を受けて、検閲当局も動いていた可能性があるということだ。 

 

日本人の知識人には問題がありますね。問題は彼らが無哲学・能天気であることです。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)  

 

>  現代人の歴史認識では、軍部が勝手に1人で暴走を始めて、国民の反対を押し切って娯楽や言論を統制していったというイメージが強いが、当時の新聞報道などを見れば、現実はそうではないことがわかる。>  まず、言論統制される以前から、新聞やラジオというマスコミは自ら進んで戦争を煽っていた。

 

マスコミの扇動がお金儲けにつながったのですね。  

 

>軍の発表を盛りに盛って、「爆弾三勇士」などの戦争美談をふれ回った。>「そうしろ」と命令されたわけではなく、愛国心を刺激するコンテンツが読者やリスナーに圧倒的にウケたからだ。  

 

熱しやすくて冷めやすい大衆は容易にのぼせ上ったのですね。  

 

>  そして、 この「愛国コンテンツ」を連日のように見せられた国民が、暴走を始める。 

 

 勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。 (ヘルマン・ゲーリング)。   

 

 

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