暴走する自由 2/3  

 

  >◆因果関係存在しない行為 >まして、「道を歩いていた知らない人」に危害を加えたからといって、夫婦の間の関係が修復されるわけでもありません。 >他の例もすべて同じです。 >ホームから知らない人を落とそうとしても、その人がクビにされた会社に戻れるわけではないし、「それをやったところで、自分への具体的な良い見返りは何もないことが確定しているような犯罪」が、この数十年でとても増えたのです。 >合理的に考えれば、そんなことをしても仕方ない。

 

不自由を常と思えば不足なし’ の方針で自重すれば問題はないですね。  

 

>この「〇〇だから△△をした」という動機の〇〇と、結果の△△の間にまったく関係性のない犯罪を起こす思想をコリン・ウィルソンは、「魔術的思考」と呼んでいます。>コリン・ウィルソンは、その源泉として、1762年にルソーが出版した『社会契約論』の中にある以下の文章に「すべての責任がある」という論旨になっています。> 「人間は自由な人間として生まれている。」> 私は何十年かぶりにこの言葉を思い出しました。 

 

人間はリーズン (理性・理由・適当) のある人間として生まれている’ ではないですかね。自由にリーズンは必要ですね。そうでなければ自由そのものにも意味がない。 

 

>361387 「暴走する自由」が対立と憎悪と暴力を生み出していく ② >Bannister          20/10/30 PM09

>リンクより

> コリン・ウィルソンのこの『現代殺人百科』の前書きは、ものすごく長いもので、前書きだけで一冊の書籍として完成するほどの長さがありますので、内容をうまく説明はできないのですが、彼は前書きを以下のように締めくくります。

>コリン・ウィルソン『現代殺人百科』前書き「殺人の時代」より >自由は責任と規律がなくても存在できるという思想を広めたのはルソーだが、この問題の責任の大半はこのルソーにある。 

 

犯罪・暴力の徹底追放を成し遂げるためには法と秩序 (law and order) が必要ですね。  

 

>1951年、アルベール・カミュは著作『反抗的人間』で、サドからカール・マルクスレーニンにいたるすべての反抗の哲学は、圧政と自由の破壊を招いたと強力な宣言を時代に投げつけた。>これは、左翼に怒りの渦を巻き起こした。 

 

左翼には ‘圧政’ も ‘自由の破壊’ も気にならないのですかね。左翼になれば何でもできるという事か。自己中心的ではなかろうか。  

 

>カミュの死後、彼の正しさは現実に証明されるところとなった。>自由の哲学は国際的テロリズムの正当化の根拠となった。

 

自由の哲学は、テロリストには都合の良い ‘お墨付き’ ですね。   

 

>イタリアのテロリストは大学の教室に押し入って、教授の脚を銃で撃ち、この教授は基本的に非道徳的な社会に適合することを学生に吹聴した罪があるとうそぶいた。 >チャールズ・マンソンは、自分の追随者は「兄弟愛」から殺人をおかしたと法廷で広言した。 >これが自由の哲学の帰結である。 >自由の哲学が狂気に走った例である。

 

自由の哲学では、邪な自由に歯止めはかけられないのですね。アンリーズナブル (理不尽) の判定は存在しないのですね。ブレーキのない機関車ですね。この状態では大事故も避けられないですね。  

 

>満ちてくる潮のように暴力が社会にのさばる。 >常に自由を云々してその正当化を求める。 

 

自由も方便’ ということですね。   

 

>この種の風潮を見るとき、間違っていたのはルソーで、正しいのはカミュだということを、われわれは考えずにはいられない。  

 

そういう事になりますね。   

 

 

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