夢 2/2  

 

> 夢の対象は自分のみであるかゆえに個人のモチベーション一つではたせなくなります。  

 

アメリカ人の夢は文章内容として全世界に知れ渡り、賛同者により大きな力を持つことになります。

日本人の夢は時制がないのでバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままであり、何が何だかわからず空理空論に終わります。  

 

>しかし、「志」は対象が自分以外にもいるためにあきらめられにくく、願いも果たされやすいとも言えます。> 特に「志」は想いが大きければ大きいほど時代を超え引き継がれていくまで昇華できます。

 

志は恣意ですから演説の内容にはなりませんね。   

 

> 事実、日本という国が 世界で一番長い歴史を持つ古い国家になったのも「志」を引き継いでつないでいったのではないかと考えられます。> 例えばビジネスでは、世界最古の企業トップ3すべて日本企業です。>さらに1000年続く企業が7社も あります。

 

日本人は序列人間です。序列の存在を知れば、一も二も無くその序列に価値の存在を認めます。  

日本語には階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせません。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられます。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されています。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいています。ですから、’序列なきところに礼儀なし’ です。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要があります。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っています。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がありません。ですから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまといます。   

 

>これは、伝統を守りつつさらに時代の変化に対応でき、 柔軟に行動できないと難しいと判断できます。

>それは、単に伝統だけにとらわれては変化は難しいはずでそのビジネスに対して想いをもって行動しなければ長続きはできないでしょう。  

 

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

> 戦後になり、 日本はアメリカのGHQの指導により戦前の教育を変えられてきました。>それは、再度、戦争を起こさないようにするためでしたが、その中には日本の誇るべき良い文化や伝統までも変更させられた事もあります。>そしてその中の一つとして「志」ではなく、「夢」を多用することになりました。>アメリカンドリームという「夢」が導入されアメリカの影響で「個人の夢」、「個人の自己実現」を目指すという考え方が主流となっていきました。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。時制を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観を持つことも出来、それを基準にして批判もできます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。できれば留学して英語で日常会話が話せるようにすることが国際人なる近道でしようね。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

>そして「志」という概念は弱くなり薄くなっていったと言えるのです。> 吉田松陰坂本龍馬のような歴史的人物や現代では孫正義氏や多くの企業経営者が「志」の大切さを話しています。> 「志」を持つことが希薄になった今だからこそ「志」の重要性を今一度考えてみてはいかがでしょうか? 

 

わが国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。   

 

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(略)

 

 

 

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