クリティカルシンキング 2/3  

 

> 小学4年生の理科の授業を覗いてみましょう。>セキツイ動物について勉強しています。>「ハ虫類と両生類、どこが似ているのか教えてください」先生が質問すると、子どもたちが一斉に手をあげます。> 「どちらもたまごを生む」「どっちも気持ち悪い!」「どちらにも目がある」「どちらにも手足がある」> 生徒たちの自由な発言に対して先生は問いを重ねていきます。「本当にどちらもたまごを生みますか?」「本当に手足がありますか?」「本当に気持ち悪いですか?」 >すると生徒たちは「かえるには手足があるけど...へびには手も足もない!」「ボクはトカゲは可愛いと思う!気持ち悪いというのは主観です!」というように、直感的に答えに飛びつくのでなく、一度立ち止まって自分の思考について考え直す習慣を身につけることができます。>アメリカの学校で生徒の授業参加が重視されるのもクリティカルシンキングを鍛えるためです。

 

そうですね。楽しそうな授業ですね。  

 

>頭の中にぼんやりと存在している思考を言語化し、他者に伝えることによって「クリティカルに考え、論理的に伝えるプロセス」を訓練しているのです。 >また他者の多様な思考に触れることによって、自分の思考の偏りや思い込みに気づくことができます。 > 先生の仕事は「答え」を教えることではありません。>生徒がクリティカルに考えられるように「問い」を重ねることです。>「なぜ?」「本当?」「どうして?」「根拠は?」と問い続けることで、生徒は「自分の思考を思考する習慣」を身につけることができます。

 

そうですね。イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)    

 

>クリティカルシンキングを教科学習に取り入れることで、機械的に知識を記憶するという受動的な学びから、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決していく「能動的な学び」を実現することができるのです。

 

日本人には意思がない。だから、能動が無く受動ばかりの生活を送っています。その結果、被害者意識があって、加害者意識 (罪の意識) がありません。これは、アニマルも同じです。  

 

>クリティカルに考える力が不可欠 > 高度情報化社会で賢く生きていくには、自分にとって必要な情報を取捨選択し、吟味し、活用する「情報活用能力」が要求されます。>新型コロナウィルスによって学校における情報メディアの拡充が急務になってきていますが、その一方で、子どもたちが氾濫する情報に流されてしまうことが危惧されています。>インターネットの世界はクリティカルシンキングを鍛える最適の場です。 >情報を鵜呑みにせず、正しい判断ができるように、インターネットに潜む「ワナ」や「ウソ」について親子で話し合う機会を持つことをお勧めします。  

 

そうですね。騙されたと分かってから ‘私は相手を信じていた’ とさも自分は善人そのもののように誇らし気に語る日本人は勘違いですね。  

 

> 「その情報は事実なのか、著者の意見なのか」「何を根拠にしているのか」「何を意図しているのか」「著者や媒体に偏見がないか」など、情報の本質について「検証」する方法を子どもに教えてあげてください。

 

わが国のマスコミは責任感が無いので情報の垂れ流しにします。  

 

> 子どもにクリティカルシンキングを教える基本は、「本当」「なぜ」「誰が言っているの」と、「問い」続けることです。 

 

現実直視、リーズン (理性・理由・適当)個人主義など、どれもこれも日本人には難しい内容ですね。   

 

 

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