集団主義

 

>民主主義と市民運動の正体 >350969 現代の日本人に『集団主義』の国民性はあるのか >匿名希望 ( 25 会社員 ) 19/11/10 PM05 > 集団主義であり、団結力が強いと言われる日本人ですが海外と比較すると本当に集団主義が強いのか。 >現代の日本ではかつての集団性や他人への意識が薄れているようにも感じます。

>-------------------------------------以下、引用-------------------------------------

>日本人は「集団主義」の国民性である、という自己認識はどうも誤解のようです。

 

そうですね。あなたは誤解しているでしょうね。日本人は、無哲学・能天気の国民ですから、一人一人は集団についていかなくてはなりませんからね。我が国民の集団主義は、そのことを指しているのでしょう。

 

>米国の文化の中で育った人間からすると、組織より個人を優先させる傾向は、欧米人より日本人の方が強いと感じることがあります。

 

わが国の利己主義は、わが国民の処世術に具体化されていますね。

 

> 日本人の間に、「個人主義」という言葉が流行したと聞いて驚いたことがありました。

 

わが国では、’個人主義’ という言葉が独り歩きをしていますね。それは、’ハイウエイ’ (highway: 公道) という言葉の一人歩きのようなものです。

 

>その時の話の流れは確かこうです。>「日本人の残業が多いのはなぜ?」と私が聞き、ある日本人は「上司や同僚の仕事が終わらない間は帰りにくい雰囲気がある」と答えました。

 

個人差を際立たせることは、わが国のような序列社会においては自己に有利に働きますからね。日本人の礼儀作法のようなものかもしれませんね。

 

>私は重ねて聞きます。>「じゃあ先に仕事を終えた人がまだ終わってない人を手伝えば良いのでは?」と。>その日本人は「自分の割り当てではない仕事を手伝う例はほとんどない」と言いました。

 

仕事量は、個人個人に定められていますね。利益の観点からすれば、’自分は自分、他人は他人’ です。

 

>なぜなら個人主義が浸透しているからで、しかもその個人主義の文化は「欧米にならって始まった」そうです。

 

昔は、得られた利益は皆のものと考えられていました。今は、利益は個人個人に振り分けられていますね。個人タクシーのようなものです。

 

> 私はいろいろおかしいぞ、と思いました。>まず、欧米の職場には日本人が言うところの「個人主義」なんていうものは存在しません。

 

そうですね。東は東、西は西’ ですね。日本人には、個人主義と利己主義の区別が難しいですからね。日本語の文法には Person (人称) というものがないので、日本人は個人を包括的に考えることが難しいですね。

 

>成功している組織では、先に仕事を終えた人間は自然と同僚を手伝います。

 

そうですね。人間は、お互いに助け合って生きるものでしょう。

 

>仕事の遅れには必ず原因があります。>仕事の分配量に誤りがあるか想定外のトラブルが発生しているかです。>当事者が解決できない問題であれば、周囲の人間が助けなければと考えるのが、チームワークを重視する欧米人の感覚なのでしょう。

 

そうですね。団体戦は、日本人に向いていませんね。合戦には、いつも先陣争いに熱が入ります。

 

>どうも日本人が使う「個人主義」は、困っている人を放置してそれで良しとする「selfish(利己的)」に意味合いが近いように感じられます。

 

そうですね。日本人の個人に対する考え方は、競争・勝負としての単位ですからね。団体戦でない個人戦ですからね。相撲のようなものです。人々は、’東が勝ったか西が勝ったか’ には熱中しない。他人が困っているのは自業自得によるものとみなされていますね。

 

>本来、英語で言う「個人主義(individualism)」の意味とは、集団に所属する一員としての役割や権利を相互に尊重しあう立場のことで、「私利」が「他利」に優先されるというワガママを容認してしまっては成り立たない概念なのです。 

 

そうですね。私利が他利に優先するのは、利己主義 (egotism) でしょうね。

日本人には意思はないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は未来時制の文章内容で意味がある。だから議論になる。恣意は文章にならないので意味がない。議論にならないので談合をする。これは腹の探り合いである。この話し合いは、概念の枠を超えている。高文脈文化の習慣は生きている。

 

 

 

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