主体性の喪失 2/2

 

>  有用性のない勉強は、害毒である。

 

無哲学と序列メンタリティの害毒でしょうね。

 

>  何を信じ、どう生きたらいいのかを教えず、しかも、民主主義社会で生きていくために最低限必要な知識や礼儀、技術も与えないまま、子供達を社会へ放り出しているのである。>これは、泳げない者を、浮き輪も与えないで、大海原に放り出すのに匹敵する。>それが現行の教育である。

 

自分自身で考えることのできる人間に育て上げることが必要ですね。

 

>  さらに、教育の現場も主体も分裂していて、その間には何の脈絡もない。

 

無哲学・能天気の日本人は、つかみどころのない人間であります。ですから、その間には何の脈絡もありません。

 

>子供達は、家庭と学校、一般社会、そして、仲間の社会、それぞれに、価値観、行動規範を使い分けなければならない。>これでは、アイデンティティ(自己の同一性)は保てない。>その結果が、自己の喪失である。

 

序列社会においては、人は相手により態度を大きくしたり・小さくしたりしなくてはならない。その変化が奇妙に見える。つかみどころがない。

 

>自己を喪失すれば自律的意志を維持することはできない。>行き着くところ、人格の破綻、人格の分裂である。

 

そうですね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

 

>  問題は、現実の中にある。>我々は生きていく上で、まず一番に、その問題を見つけだすことが、求められる。

 

問題は、日本語の特性によるところが大きいと思いますよ。

 

>そして、答えは、本来、結果が出す。

 

英米人は、日本語を話していても日本語特有な閉塞感には陥らない。彼らの考え方はいくらでもある。だから、その正解も幾らでもある。

 

>だとしたら、学問で大切なのは、問題を設定することであって、必ずしも答えを出すことではない。

 

そうですね。問題を見つけ出すことが大切ですね。

 

>  学校や子供達の生活の場は、非日常的な空間である。>ところが、子供達にとって学校やテレビ、ゲームに取り囲まれた生活の場が現実なのである。>この様に、子供達の生活している空間と現実との乖離は、子供達から、非日常的空間と現実と区別する正常な感覚を奪い取ってしまう。

 

学校生活も家庭での生活も、どちらも日常でしょうね。それらは、現実であって、天国・地獄のような非現実 (考え) の内容ではないでしょう。

 

>そして、非日常的な空間を現実と子供達に錯覚させ、現実を受け入れられなくしてしまう。

 

日本人には、非現実 (考え) の内容はありませんからね。時制を持たない日本人が非現実の内容を考えると、それは哲学にはならずして、空想・妄想になる。お陰様でわが国は、漫画・アニメの大国になりました。

 

>その結果、子供は、現実から分離され、非現実的、非日常的世界へ隔離されてしまうのである。

 

学校は、序列競争に特化された空間でしょうね。

 

>  この様にして、学校やメディアは、無自覚に現実離れした人格を、作り出してしまっている。

 

序列マニアの日本人は、いくらでも序列を作りますね。お手の物です。

 

>  最も最低なのは、偏差値によって、すべても学童の序列を決めてしまっていることである。

 

これは、公認の序列ですね。

 

>偏差値によって、全人格を、決めつけとしまうような事は、即刻やめることだ。

 

そうですね。偏差値の存在は、叙勲の存在に匹敵しますね。

 

>評価すべき事も曖昧な上、評価する基準や、方法も確立していない。+

 

日本人は、人間としての価値を求めています。これは、同次元序列の争い (スポーツ競技など) の結果とはまた別のものです。

 

>それでありながら、序列だけが、明確に決められてしまう。

 

それでありながら、皆が ‘正一位’ を望んでいる。

 

>それによって、人生の進路まで決められてしまう。>これは、非道だ。>人倫の道にもとる。>人間として許されざる事だ。

 

残念なことに、日本人には ‘もの’ (物・者) しかありません。

 

>何を、根拠にして、人に序列をつけるのか。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、日本人は、’上と見るか・下と見るか’ の判断なしでは暮らせない。上下判断を繰り返して行えば、それは全体で序列になる。我々は、序列社会 (縦社会) に生きている。だから、だれもが認める標準となる人間序列が必要になる。それで社会は序列判定に精を出している。

 

>偏差値主義こそ、最も忌むべき差別思想である。

 

偏差値が廃止されれば、我々日本人はまた別な序列を作り出すことでしょうね。日本人の礼儀作法は、序列作法である。序列順位を知らない人間は、礼儀正しい日本人にはなれないでしょう。序列なきところに礼儀なし。

 

>偏差値は、我が国の教育制度の非人間性を象徴している。 

 

そうですね。存在するのは、人間ではなくて単なる ‘もの’ (物・者) ですよ。日本語には、人称 (person) がない。

 

 

 

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