空気の暴走 1/2 

 

>362002 日本を支配する「空気の暴走」は止められるのか  >なぜ同調圧力が強い国だと感じられるのか >吉 四六 ( 会社員 ) 20/11/24 AM01 【印刷用へ】 

>リンク

>農村をベースにした日本人論はよく目にするのですが、しかし農耕は別に日本だけの特徴ではありません。>水田は多くないでしょうが、共同管理を要する仕事は水田に限りません。>このように見ていくと、どの社会にでも同調圧力は存在していると考えたほうが自然でしょう。 

 

そうですね。   

 

>しかし一方で、多くの日本人は実際に強い同調圧力を感じ、「世界でもっとも強い」とすら主張する人もいる。>これはなぜでしょうか。 

 

無哲学・能天気であるから個人が弱くて圧力を強く感じるのでしょう。   

 

>日本の何が特徴的だと考えればいいのでしょうか。  

 

日本語が特徴的でしょうね。   

 

> 「明確な掟」が少ない  >一言で表せば「明確な掟が少ない」という点です。  

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと一方向に移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。マッカーサ元帥の ‘日本人12歳説’ は有名ですね。日本には大人になる為の教育がない。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性が見られない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>それゆえに曖昧な掟である「空気」が強い力を持つ。

 

そうですね。無哲学・能天気な人間には気分・雰囲気が頼りですね。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

 

.