>ここが特徴です。>明確な掟さえあれば、それに従えばよいので空気を読む必要はありませんが、逆に言えば明確な掟が少ないからこそ、何となく読んだ空気を掟とするのです。 

 

自己の ‘あるべき姿’ が必要ですね。各人に哲学が必要である。 Everyone needs a philosophy.   

 

> 明確な掟が生じにくい理由はいろいろと挙げられます。 

 

何といっても日本語の影響が大きいでしょうね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」  

 

>そのなかでも、曖昧なコミュニケーションを好む姿勢、神様を絶対視しないような習慣はわかりやすいものでしょう。  

 

それは、なれ合いですね。’なあなあ主義’ でしょう。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇に見えて危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。

 

>たとえば人間よりも偉い神様が絶対的な存在として君臨していれば、神様との契約は絶対です。>これが強い掟になります。>ところが、日本では神様がそこまでの存在にはなっていません。

 

日本人には現実の内容があって非現実 (考え) の内容がない。だから、意見は ‘現実 対 現実’ の比較になる。しかし、現実の内容は千変万化してとどまるところを知らない。だから、比較による結論も次々と変わる。そして、現人神も信頼できない。   

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、日本人の絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と書いています。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。

 

>もちろん信心深い方もいることでしょうが、もっと人間に身近な存在です。>だから、人間の都合に応じ平気で神様を作ったり改造したりしてしまいます。 >神様が絶対であれば、人間が勝手に手を加えるなんてできないはずです。 >ちなみにですが、私の地元には喜多方ラーメン神社まであります。 

 

日本人は奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。だが、実は日本人には、奥 (考え) がない。だから、浅薄である。

日本人には、儀式 (作法) ばかりがあって、教義 (考え) というものがない。だから、子供の時には宮参り。結婚式はチャペルで行う。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められている。

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)  

 

> 明確な掟が少ない日本では、曖昧な掟である空気が諸外国より発生しやすくなります。

 

空気の研究が必要ですね。付和雷同の研究ですね。        

 

>また、決まりきった掟が少ないということは、新型コロナ禍における緊急事態宣言のような要請によって、新しい掟を作りやすいということです。>しかも、それが全国に広まりやすいということでもあります。 

 

朝令暮改も可能ですね。しかし、日本人の政治家に政治哲学を持たせることは難しいでしょうね。国家のグランドデザインやマスタープランを描かせることが難しい。政治音痴は治らない。      

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。    

 

 

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