蓮舫氏

 

>蓮舫氏が香港の民主活動家・周庭氏ら逮捕に抗議「中国当局による重大な人権侵害」

>LINE共有ボタン >2020年8月11日 17時16分 >デイリースポーツ   >蓮舫氏 >写真拡大

> 立憲民主党蓮舫副代表が11日、ツイッターに新規投稿。香港警察が香港国家安全維持法違反容疑で、民主活動家・周庭(英語名アグネス・チョウ)氏らを逮捕したことに対し、「重大な人権侵害」として抗議した。

 

日本の政治家も声を上げましたね。〇〇民主党と民主の名のつく政党の政治家がこぞって今回の中国の反民主主義の政策に抗議すべきではないでしょうか。  

 

> 蓮舫氏は、同党の枝野幸男代表の抗議ツイートと共に、「周庭さん逮捕は外国勢力と結託し国家の安全に危害を及ぼすことを禁じる国家安全維持法29条違反、と現地報道。同時に中国に批判的と言われる蘋果日報創業者も逮捕」と経緯をつづった。  

 

中国の為政者は ‘朕は国家なりですからね。朕の安全は国家の安全を意味していますね。

人にはいろいろな考えがある。矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを示している。中国人は考えることの大嫌いな人たちですからね。ブランド・ネイㇺがない。個性がない。中国は、伝統的な焚書坑儒の国です。 焚書坑儒とは [中国で] 秦 (シン) 始皇帝が民間の書物を焼き捨て、学者を穴に埋めて殺したことです。今流のやり方でいえば、為政者が出版社を営業停止にすることと活動家を終身禁固刑にすることでしょうね。  

 

> その上で、蓮舫氏は「中国当局による香港の自由、民主を求める活動の弾圧は重大な人権侵害。断固抗議します」と訴えた。 

 

中国には人権がありません。だから、自由も民主もないのでしょう。生きたロボットを立てて多数決の決議をする。為政者の変な自由が生きている。  

漢人 (中国人) は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、外国人の考えを示すために漢字を作ることはなかった。今もそれはない。だから、いくら漢文を読んでも外国人の考えは出てこない。それで、外国人の考えに影響されることはないのでしょうね。常に彼らは独断専行する。

 

 

 

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周庭さん

 

>“民主の女神”周庭さん、逮捕前最後の日本人へのメッセージ SNSでは抗議の声「戦前の日本と同じ」 >LINE共有ボタン >2020年8月11日 17時30 >ABEMA TIMES  

> 8月10日夜、2014年の香港の民主化デモ「雨傘運動」を主導した学生団体の元幹部、アグネス・チョウこと周庭(しゅう・てい)さんが国家安全維持法違反の疑いで香港警察に逮捕された。 

 

残念至極ですね。

 

> 【映像】香港警察に逮捕・護送される周庭さん(23)の姿(1分40秒ごろ~)

>「恐怖感に負けずに引き続き自分の信念、私たちが信じている自由と民主主義のために戦っていくことがとても大事だと思っています。

>これからも一生懸命香港人の自由そして民主主義を守るために頑張っていきたいと思いますので、日本の皆さんも世界の皆さんも私のことだけではなく他の香港の若者たちのことにも注目していただきたいと思っています。

 

そうですね。注視する必要がありますね。  

 

>ありがとうございました」(周庭さん)

> 周さんはこれまでも流暢な日本語を使い、日本に対しても運動への支持を訴えていた。

>違法集会を扇動した罪などに問われた裁判で有罪判決を受けていたが、今度は、国家安全維持法に違反した疑いで逮捕された。  

 

私は香港の民主化運動を支持します。中国政府は言論の自由が嫌いですね。彼らは議論・対話はできないでしょうね。  

 

>また、香港警察は、中国に批判的な論調で知られる新聞「リンゴ日報」の創業者・黎智英(れいちえい)さんなど、周さんを含め男女6人を逮捕。

>周さんらを逮捕した理由について、香港警察は「外国勢力と結託して国家の安全に危害を加えた容疑を適用した」としている。 

 

中国は外国嫌いですかね。  

 

> はたして民主化を訴えることは、国家の安全に危害を加えることなのだろうか。 

 

権威主義の国ですから、民主化は危険思想ということになりますね。権威主義と民主主義は共存できませんからね。  

 

>民主化運動の女神”の逮捕にTwitterでは「#周庭氏の逮捕に抗議する」「#Free Agnes」といったハッシュタグがトレンド入りした。> SNSでも「民主化を訴えるだけで逮捕。>戦前の日本と同じ。

 

そうですね。香港の警察は大日本帝国特高警察と同じですね。わが国の特高警察はアメリカ人により潰されましたね。 今日も学校に行けるのはアメリカさんのお陰です。 

 

>大好きな香港から自由が失われてしまった」

 

香港人に自由があったのは、英国人のお陰ですね。

 

>「彼女はたったの23歳。>日本のアイドルや邦楽を愛する普通の女の子が人権自由というごく当たり前の権利のために声を上げただけで無期懲役を受けかねない。 

 

本当に中国はべらぼうな国家ですね。

 

>こんな理不尽な国があってたまるか」などの声が相次いでいる。 

 

そうですね。理不尽な国はこの他にもたくさんあるでしょうね。彼らはお互いに助け合ってゆくでしょうね。

 

> 6月末、自身のTwitterに「絶望の中にあっても、いつもお互いのことを想い、私たちはもっと強く生きなければなりません。 >生きてさえいれば、希望があります」と書きこんでいた周さん。 

 

本当に生きていることが大切ですね。  

 

> 「一国二制度」という複雑な社会で育ってきた香港の若者たちに今、この言葉はどう響くのか。 

 

約束を守る意思のない人たちの制度は当てになりませんね。制度そのものが私たちを守るのではない。人間のそのものが人間を守る。横断歩道そのものが歩行者の安全を守るものでないのと同じようなものですね。   

 

>周さんは、日本人に向けて発信した最後のツイートでこう呼びかけている。 >「日本の皆さん、自由を持っている皆さんがどれくらい幸せなのかをわかってほしい。 >本当にわかってほしい...」 

 

そうですね。我々日本人は、自由を自分自身の手で獲得したわけではありませんからね。ただ、アメリカ人から与えられたものです。我々日本人は幸せではありますが、その作り方は理解していませんね。

 

>(ABEMA/「ABEMAヒルズ」より)

 

 

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他者を優先

 

>359130 主張しない人ほど「かまってちゃん」予備軍だ  >匿名希望      20/08/09 PM07 【印刷用へ】 

>知らぬ間に職場の「面倒な人」になっている?リンク

>■もしかして私も「かまってちゃん」!?

>まず、どんな人が「かまってちゃん」認定されやすいかというと、「適度な自己主張ができない人」「気持ちが不安定な人」があげられます。  

 

構う’ は、’そのことの為に配慮する’ ことですね。

 

> 自己表現の中で「非主張」というものがあるのですが、これは、自分の気持ちよりも、状況や立場そして相手の意向を優先する関わり方のことを指します。

 

周囲の状況を静観する態度ですね。静観は日本人の得意とするところですね。  

 

>他者を優先する日本の教育では、こういった考え方を「美徳」とするところがありますね。 

 

積極性のない人の負け惜しみでしょうね。日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。  

 

>自分の感情を抑え込み、強い主張をせずに相手に合わせてしまう、謙虚な態度とも言えます。  

 

なあなあ主義ですね。 ‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることです。  

 

>しかし、この関わり方の裏には、自分の思いを大切にしない自己犠牲の感情があり、それゆえに「私が我慢してやっている」「言わなくても気づけ」という気持ちも潜んでいるのです。

 

そうかもしれませんね。相手に恩を着せる気持ちですね。    

 

>■「非主張」がゆくゆくは「かまってちゃん」に?

> 「非主張」ばかりの態度をとっていると、心は満たされず、不安定になりやすくなり、周囲からは「何を考えているのかわからない」「もっと自分の意見をきちんと言って欲しい」と思われることさえあります。 

 

そうですね。自己を表現する必要がありますね。 意思がなければ能動がない。受動ばかりでは立つ瀬がない。これはわが国の世界政治に対する政府の立場と同じかもしれませんね。   

 

>また、人間は精神のバランスをとるために、非主張的な態度ばかりを続けていると、必ずといっていいほど、どこかで感情のしわ寄せが起こり、攻撃的な態度に出やすくなるものです。  

 

そうですね。それを ‘ガス抜き’ というのでしょうね。  

 

>この場合の攻撃は、「口調が強くなる」「睨む(にらむ)」と言ったわかりやすい攻撃だけでなく、「回りくどく言う」「何度もしつこく言う」「嫌味を言う」「ひがむ」「無視する」というような態度も含まれ、特に自分より立場や力関係の弱い相手に攻撃が向きやすくなります。

 

力の弱い者が攻撃の対象になりますね。’弱いものいじめ’ ということですね。  

 

>つまり、非主張と攻撃は「表裏一体」なのです。> 攻撃的な感情を噴出させないためのポイントは、「適度な自己主張」。  

 

そうですね。‘おぼしきこと言わぬは腹膨るるわざ’ ですからね。 自分の意見を言いましょう。

 

>つねに自分の気持ちをすべてさらけ出す必要はありませんが、きちんと自分の考えや思いを伝えられる術は身に付けたいものですね。

 

そうですね。自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思の無い日本人は常に傍観者になっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は世界の中にあって、世界に属していない。だから、我が国民は存在感が薄い民族である。 

 

>■具体的解決策を講じてもらう必要はない

> そんな時に重要なのは、なんでも話を聞いてくれる相手の存在です。>とても単純なことですが、人間はただ話をするだけで、気持ちがすっきりする効果があるのです。 

 

そうですね。聞き役が必要ですね。  

 

> 心は目には見えず、形もありません。 

 

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。

 

>そんな漠然としたものを人に伝える時には、言語という形あるものに置き換える必要があります。 

 

そうですね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。  

 

>そして、言葉にしたものを相手に伝えなければなりません。 

 

言葉は伝達の手段でもありますからね。必要な内容は、文章にして伝達しましょう。  

 

>この一連の行為の中で、自分自身の、もやもやしていた感情が整理されていくのです。> 気持ちが整理されると、自然と心が落ち着き、視野も広がります。 >そしていままで見えなかったものが見えてくると、気持ちにゆとりが出て違う考え方を受け入れられるなどの好循環が生まれてきます。  

 

そうですね。

 

 

 

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指示待ち人間 2/2

 

>その一つの指標として、2020年に開始される大学の新入試制度では、「判断力」「表現力」「思考力」がこれまで以上に問われる内容になっていくことが発表されています。 

 

判断力: 意思決定が必要になりますね。しかし、日本人には意思がない。これが問題ですね。  

表現力: ‘人の振り見て我がふり直せ’ が習慣になっている。 だから、自己の表現力に個性がない。

思考力: 日本人は思考停止になっている場合が多い。全ての考え (非現実) は英語の文章になる。だが、非現実 (考え) の内容は日本語では文章にならない。だから、日本人の判断によれば非現実の内容は ‘嘘’ になる。  

 

>つまり「自分で考える」ことが必要で、すでに用意された正解を見つけて提出すればOKというものではなく、今持っている知識や経験を整理し、組み立てて、目標を達成することが必要になってきます。

 

そうですね。他人の正解を見つけてOKを出すのは可能です。自己の考えを組み立てて示すのは無理ですね。

 

>しかし、それに向けて小学校から高校までの教育改革が進められてはいるものの、すぐに100%変えられるようなものではないので、まだまだ「用意された正解を探してくる」型の教育が大部分を占めています。

 

そうですね。  

  

>「答えのない社会」を生き抜くには、学校や塾だけに頼るのではなく、自分自身の「考える力」が必要なのですね。

 

そうですね。  

 

>◆ママやパパが子供にできること

>それでは、ママやパパは具体的にどのようなことに気をつけると良いのでしょうか? (略) >子どもが失敗した時は「ここで感情に任せて怒ったら、この子は“叱られるから新しいことに挑戦しない”“言われてからやろう”と思ってしまわないかな?」といちど自分に問いかけてみましょう。

 

そうですね。子供は隠蔽工作に専念するようになりますね。  

 

>先回りして失敗の芽を摘まない >危険なことや反社会的なことは別ですが、失敗から学ぶことはとても多いです。

 

そうですね。失敗は貴重な体験ですね。その内容が強く記憶に残り貴重な教訓になれますね。教育効果が抜群ですね。  

 

>それ、あきらかに失敗するな~と思っても、先回りして困難を取り除かずあえて失敗させてみると、子どもは自分で「こうしたらよかった」と気付くこともありますし、大人の「こうしたらよかったんじゃないかな?」というアドバイスも生きてきて、「次はこうやってみよう!」という意欲も生まれます。

 

そうですね。創意・工夫の態度が芽生えますね。

 

>「育てやすい子」こそ配慮が必要

>親がこうしてほしいと思ったことを分かってくれる子、言われたことはちゃんとやる子は、親からすると本当に助かります。 >でも、そういう「育てやすい子」は、自分のしたいことではなく、「親が喜ぶこと」を判断基準にしてしまっている可能性があります。  

 

そうですね。親の顔色を窺う子供になりますね。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)  

 

>特に、何かができたときだけほめる・かわいがる…という条件付きの接し方をしていると、「親の期待に添わないと愛してもらえない」と思い込んでしまうことも。  

 

犬の調教のようなものですかね。  

 

>極端な例ですが、将来ブラック企業に入ってしまったとき、「NO」と言えず精神を病んでしまったり、職場で強い立場の人に逆らえずに汚職や犯罪などに手を染めてしまう可能性もないとはいえません。 (略) >小さい頃から、ついつい先回りしてやることを指示したり、「いいから○○しなさい!」と従わせてきた結果、いざそういった課題をやろうとすると、何も浮かんでこない…となってしまったら大変ですよね。  

 

そうですね。思考停止の状態ですね。

 

>こんな時は、子どもへの日常の接し方を見直すことはもちろんですが、同時に、次のようなことも「考える」練習として役立ちます。 >完璧に出来上がってから書くのではなく、とりあえず書いてみる >いきなり全体を考えず、目的は何か、現状はどうなのか、目指す状態(ゴール)は何か、それは数字で表せるか、できそうなことは何か…などと分類して考えてみる >色々な方法(選択肢)を挙げ、自分ならどれを選ぶか、理由などを説明できるようにする >などが有効と言われています。

 

これらは受け売りですか。

 

(略)

>投稿者 hoiku : 2020年08月06日 TweetList

 

 

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指示待ち人間 1/2

略)

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>https://chanto.jp.net/childcare/education/43377/ より引用します。 >いま、新社会人や若手社員が「自分から動こうとしない」「言われるまでやらない」など『指示待ち人間』だと批判されることが増えてきています。  

 

そうですね。  

' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>これを読んでいるワーママの中にも、後輩に対してイラっとした経験を持つ人がいるのではないでしょうか? >こういった『指示待ち人間』になってしまうのは、生まれつきの性格もありますが、それよりも周囲の働きかけによって変わる面がかなり大きいと言われています。  

 

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がないから、仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には、他力本願・神頼み。  

 

>そして、それは職場で始まったことではなく、学校や家庭から始まっていて、中でも影響が大きいのはやはりママやパパの接し方や言葉がけだと言えるのではないでしょうか。  

 

日本語の問題でしょうね。  

 

>今回は、わが子を『指示待ち人間』にしてしまわないために必要なことは何か、考えていきたいと思います。 

 

それは有益なことですね。  

 

>◆『指示待ち人間』の二つのタイプ

>人から言われるまで動かない「指示待ち人間」になってしまう心理には、実は2種類あると言われています。

>タイプ1:経験が少ないせいで、「自分で考える」ことが身に付いていない (略) >見ているママやパパは止めずにいられないですよね。 >でも、毎回、ママに「ダメダメ、こうやって」と指示されるのに従う…ということを繰り返していると、それが習慣になり、考える機会がとても少ないままで成長してしまう可能性も。

 

そうですね。侍従に何でも代行してもらえる貴族の子供のようなものですね。  

 

>そんな声掛けを後悔しているあるママからは、「国語のテストで、登場人物の気持ちを読み取る問題や、自由に記述する問題ができないんです。 >漢字や歴史など、暗記物は得意なのですが…」という悩みも聞かれました。  

 

子供は自分の思考を停止しているのでしょうね。  

 

>タイプ2:「間違い」「失敗」で叱られるのがイヤ

>もう一つは、学校生活や職場で、「こうした方がいいかも」と頭の中で考えることはできているのですが、やってみて失敗することが怖い・叱られるのがイヤ、という理由で行動に移せないタイプです。 >間違えないようにしよう、失敗しないようにしようと考えるのは、まじめな性格の証で長所でもあるのですが、その思いが強すぎると、「失敗するくらいならはじめからやらないでおこう」という発想につながってしまいます。

 

君子は危うきに近寄らず’ ですね。  

 

>そうなると、成長の機会も少なくなりがちですし、部活や仕事で評価されにくい可能性も出てきます。

 

そうですね。積極性がないからですね。  

 

>こうなってしまうのは、生まれついての性格も多少はありますが、どちらかというと、「失敗して叱られた」「ママやパパの言うとおりにしていたら叱られなかった」という経験を繰り返した結果…という面も大きいのです。

 

そうでしょうね。  

 

>◆これからの時代は「指示待ち」じゃダメな理由

>ママの子ども時代や親世代では、「素直にハイと言って動ける子」「口ごたえしないで取り組む子」などは大変評価が高く、就職活動でも有利でした。   

 

戦時中の皇軍兵士のようなものですね。  

 

>その理由としては、戦後の高度成長期を支えるためには、他人と違った才能を持つ人よりも一つの方向へ力を合わせて努力できる人が労働力として大量に求められていた…という時代背景があります。

 

そうですね。生きたロボットの大量生産でしたね。  

 

>学校教育や入試制度も、「人並みの頭脳を持ち、大きく外れた行動をしない」人をふるい分けるために機能していた面が大きく、その時代には、ある程度の仕事ができれば、コミュニティ内に「指示待ち人間」が一定数いてもOKだったのです。  

 

そうですね。入試制度は同次元の序列争いでしたね。  

 

>しかし、少子化グローバル化によって、日本国内だけで経済活動は成り立たなくなっていくこれからの時代は、「みんなと同じ」では生き残れなくなると言われています。

 

そうですね。金太郎飴のような顔をした人間の時代は終わったのですね。  

 

 

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要は比較の問題です

 

相手を説得するには自説を論じなくてはならない。その時には比較を使う。要は比較の問題になる。

欧米人の頭には非現実 (考え) がある。だから、現実 (今ある姿: things as they are) と非現実 (あるべき姿: things as they should be) の内容を比較することができる。非現実の内容は頭の中にあるので絶対化が可能である。彼らの神様も絶対神となっている。  

無哲学・能天気の日本人は非現実がない。だから日本人が論ずるときには現実と現実の間の比較をする。オリンピック競技のようなものか。ところが現実の内容は千変万化する。だから、日本人の基準もその都度変化して、比較の結論も変化せざるを得ない。だから、結局のところ日本人は何を話しているかわからず聴衆の信頼がえられない。非現実を持たない人間には自己がない。個人がないので個人主義が理解できない。個人主義 (individualism) と利己主義 (egotism) の区別も難しい。

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、日本人の絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)  

というわけで、我々も外国人から信頼されるためには非現実 (考え) の内容を持つことが必要な条件となる。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. さすれば、国際社会において我々は責任ある地位に就くこともできる。

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、無哲学・能天気の状態を脱しなければならない。全ての考えは文章になる。英文法には、非現実の内容を文章にするための時制 (tense) というものがある。だから、非現実の内容を文章にして頭の中にため込むことができる。これが知力の強みを発揮する。現実と非現実 (あるべき姿) の比較を可能にしている。かくして彼らは現実に対する批判精神 (critical thinking) を持つ。だから、彼らのジャーナリズムは、現実の内容をただ垂れ流しにはしない。有力紙が存在する。我々も彼らの方法を取り入れよう。そして知的な人間になろう。   

 

 

 

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意思・責任・その他 3/3

 

[思考停止] 自分には考えがないから他人から借りる。詰め込み教育がこれを助けている。全員が思考を停止しているから、全員が受け売りの専門家となる。

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)   

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)  

 

[哲学] 私は日本人のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何回も尋ねられた。だが、このような質問を外国人から受けたことはない。その代わり、‘私はインド哲学に興味がある’ と何人かのアメリカ人らか話しかけられたことがある。日本人は仏教徒であると言われているが、インド哲学に興味があるという話は聞いたことがない。 哲学とは ‘考え’ の事である。宗教に関する考えは、宗教哲学と呼ばれる。歴史・政治に関する考えは歴史哲学・政治哲学である。科学は科学哲学、人生は人生哲学になる。などなど。各人に哲学は必要である。だから英米人は思春期になると高等教育を受ける。そして、大学で自分自身の哲学をまとめて子供の精神状態を抜け出すことになる。

日本人は無哲学・能天気のままであるから、大学に在学しても4年間遊んで暮らすことになる。政治家にも政治哲学がない。’我らは何処に向かうのか’ の疑問に答える人がいない。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

 

[尊敬] 日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。階称を使いこなすには世俗の上下判断が必要である。この判断が疎かな人は、日本語の日常会話にも差支えが出る。上下判断を誤ると上様の祟り (仕返し) が恐ろしい。だから、人を見損なってはならないのである。

世俗的な ‘上と見るか・下と見るか’ の判断には、勝負の成績が用いられるが多い。偏差値なども全国的な都合の良い資料されている。この励みにより序列社会は成り立っている。

日本人の礼儀作法は、序列感に基づいている。だから、序列なきところには日本人の礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。日本人の尊敬は形式的な上下作法であって、序列社会の単なる序列順位の表れに過ぎない。個人的精神的な意味がないから、日本人の尊敬にも浅薄さが付きまとう。

日本人は奥ゆかしい(深い考えがあるようにみえる)。実は、奥 (考え) がない。だから、浅薄な人である。

日本人には、儀式 (作法) があって、教義 (考え) がない。子供の時には宮参り。結婚式はキリスト教。葬式は仏式でやる。全ての行為は、気分・雰囲気で決められる。趣味には論拠がない。There is no accounting for tastes.

 

[仕事のやりがい] 昔かたぎの日本人は義理を果たしてこの国を盛り上げた。義理とは序列関係により生ずる義務のことである。義理を果たすことは、序列人間にとっては ‘やりがい’ のある事である。その励みにより自己の序列順位の改善がみられるからである。今日のように派遣社員となって数多くの職場を渡り歩くようであっては、日本人の士気は上がらない。2017年に米ギャラップが実施した従業員のエンゲージメント(仕事への熱意度)調査によると、日本では「熱意ある社員」はたった6%のみだったそうです。これは世界139カ国中、実に132位という散々な数字であります。

序列人間は、序列社会の中で力を発揮する必要があります。筋金入りの皇軍兵士にも変身します。序列制度の無い外国に移民すると心身ともに疲れ果てて挫折する者が多い。だから、外国は恐ろしい。これは日本語思考の弱点によるものである。我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、思考の幅を広げよう。そして、思考停止やら閉塞感に襲われることがないように日夜努力を重ねよう。

為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり’ (上杉鷹山)

 

 

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