鵜呑度 1/2

 

>268782 日本人のマスコミ「鵜呑度」は先進国ダントツ⇒どうする?  >雪竹恭一 ( 50 営業 ) 12/09/18 PM00 【印刷用へ】 

>日本人のマスコミ「鵜呑度」は先進国でもダントツに高いらしい。 > >いわばマスコミ報道の「鵜呑度」を国際比較すると、日本人は、先進国中ダントツに「鵜呑度」が高く70%、最も低い国民は英国で14%です。その他の主要欧米諸国(ロシアを含め)は20-35%です。

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

>リンク >原発、消費税、TPP、ACTA、領土問題等、重要な問題が目白押しであるにも関わらず、相変わらずマスコミは肝心の事実を伝えない。

 

マスコミに大切なことは、各問題に対する各種解決法の選択肢を世間に示すことでしょうね。

 

>大衆はマスコミに共認支配されたままだ。

 

大衆は無哲学・能天気であるから、自分自身の考え (非現実) というものを持たない。 

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)  

 

>マスコミ報道の「鵜呑度」の高さは、日本人の共認収束力の高さ故とも言えるが、逆の面から言えば、青山教授の指摘通り、思考停止して付和雷同しているとも言える。

 

日本人には考え (非現実) の内容がない。非現実の内容は見ることができない。そして、見ることのできない内容は ‘嘘’ と判断される。誰しも ‘嘘つき’ にはなりたくない。だから自分で考えた非現実の内容は明らかにされることはない。これが則ち日本人の思考停止の状態である。自分自身に考えのない人たちは、付和雷同するしかない。  

 

 山本七平は「『空気』の研究」のなかで、付和雷同のことを指摘している。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

 

>マスコミの共認支配をどう突破するか?  

 

日本人には世界観がない。だから、自己の世界観 (非現実) を基にして現実の内容を批判することもない。そして批判精神の持ち主にもならない。だから、浅薄な人間のままで居る。

日本人には批判精神 (critical thinking) というものがない。だから、わが国のマスコミは事実のみをただ垂れ流す。各種の意見を並べて読者にその問題を解決する選択肢を示すことをしない。

 

>マスコミの嘘と事実との闘いになるが、いつまでも嘘を貫き通すのは不可能。>マスコミがいかに嘘つきで何が事実かが分かれば、共認収束して世論は一気に逆転する。

 

そうですね。だが、’それがどうした’ (So what?) の反撃には答えが出ない。だから、わが国はケジメのない社会になっている。

 

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