モンゴル人の大量虐殺  

>プレジデントオンライン   >モンゴル人を虐殺しながら「草原に笑顔があふれる」大量虐殺を隠蔽して日本向けに作られた中国の月刊誌   楊海英によるストーリー・   8時間・   

>プロパガンダはいかにして真実を覆い隠すのか。    

>南モンゴル出身で静岡大学教授の楊海英さんは「モンゴル人を大量虐殺しながら、それを隠蔽するために日本向けの月刊誌で内モンゴルの人びとの姿を、草原に笑顔があふれるかのようにでっち上げた」という――。    

>※本稿は、楊海英『未完の中国文化大革命』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。    

>中国には民族自決権がない    

>かつて内モンゴル軍区は中国八大軍区の1つであり、戦闘力の高い部隊が存在した。    

>毛沢東からすると、万が一ソ連が攻めてきたとき、モンゴル人が寝返るかもしれないという恐怖があった。    

>そこでモンゴル軍区を北京軍区の下部組織に組み入れ、滕海清将軍の派遣後、内モンゴル前線指揮部(前指)をさらに2年後に設置し、内モンゴル軍隊を指揮下に入れた。    

>以来、モンゴル人が軍区の司令官になることは一度もなかった。    

>中国では、現地出身の少数民族が自治区や自治政府の党書記になることはありえなかった。    

>しかし、ソ連ではレーニン・スターリンの民族自決政策があり、憲法にも民族自決権が明記されているので、少数民族でも自治政府のトップになることができた。    

>カザフスタン共和国やウズベキスタン共和国も当初から党書記は現地人だ。    

>そのために1991年のソ連邦崩壊によって独立できたのである。    

>一方、中国からの独立が難しいのはこの民族自決権がないからだ。    

 

中華思想と民族自決権は両立しませんね。   

 

>ウラーンフーの粛清は中国の民族問題の本質を理解するうえでも象徴的かつ重要だった。    

>「南モンゴルでは血の匂いがした」    

>滕海清将軍の派遣に次いで、林彪は部下の家維山を「内モンゴル征服者」として内モンゴル前線指揮部に司令官として派遣した。    

>こうしてモンゴル人の虐殺が大々的に展開された。    

>しかし、このジェノサイドは当時、国際社会に伝わらなかった。    

>中国も事実を隠蔽し、『人民中国』19683月号で「赤い太陽は内蒙古草原を照らす!」という特集を組んでいる。    

>この年はちょうど虐殺がおこなわれていた時期にもかかわらず、「首都北京から若い男女三百余名が牧畜民として草原に住みつくためにやってくる」とのニュースを喜ぶ現地人の様子をでっち上げている。    

>ほぼ同じ時期に共同通信と朝日新聞も内モンゴルを訪問し、同じようなタイトルの記事を掲載している。    

>その後、私は2008年にモンゴル国(北モンゴル)のある外交官に会ったとき、「あなた方は当時、南(内)モンゴルの同胞たちが殺されていたのを知らなかったのですか?」と聞いたら、「もちろん、知っていた。    

>当時の南モンゴルでは血の匂いがした」と語った。    

>満洲国時代に興安軍官学校を卒業したその外交官は国際列車に乗って、モスクワからモンゴルを経由して北京へ行き、さらにベトナムに赴任しようとしたとき、南モンゴルを通過した。    

>住民の表情は暗く、血の匂いがするようだったという。    

>本当に匂ったわけではなく、比喩的表現だが、当時の社会的雰囲気を見事に感じ取っているのである。    

>華僑を中国に送り返す外交紛争が勃発    

>一方、モンゴル人民共和国(北モンゴル)においても中国は毛語録を配布し、約2000人いた華僑に対して政治闘争を呼びかけた。    

>これは明らかな内政干渉であり、モンゴル人民共和国は対抗措置として華僑を中国に送り返す外交紛争も起きた。     

>紅衛兵たちがソ連とモンゴル人民共和国を修正主義国家として批判していた当時、モンゴル人民共和国の外交官が北京市内を歩いていて、たまたま地面に落ちていた新聞を踏んづけた。    

>その新聞には毛沢東の肖像画が掲載されていたことから、紅衛兵がその外交官を吊るし上げるという事件も起きている。    

>外交官は外交特権があるので、警察も手を出せないのに紅衛兵はお構いなしにやってしまった。    

>さらに、調子に乗った紅衛兵は内モンゴル自治区を廃止して、「反修(反修正主義)省」に改名しようと提案したが、さすがに却下された。    

>珍宝島事件で惨敗した人民解放軍    

>内モンゴル自治区でモンゴル人の不満が高まるとともに、中国は当時、ソ連と同盟国のモンゴル人民共和国に駐留するソ連軍の南下を防ぐ戦略に迫られた。    

>そこで中国は、東方の黒龍江省北部でソ連との国境となるアムール川の支流、ウスリー川中流域の小島・珍宝島(ロシア語で「ダマンスキー島」)でソ連軍を故意に挑発し、衝突に至る。    

19693月の出来事で、「珍宝島事件」という。    

>この戦いで、人民解放軍は惨敗を喫した。    

>その後も領土権争いは長く続き、1991年に中国領とすることで解決したが、後日明らかになったことには、1969年の紛争時は中ソ両軍とも核を用意していたらしい。    

>このように、国内の不満を外に向けるために紛争を起こすのは、中国の常套手段である。    

>たとえば文化大革命後、ベトナムに対する中越戦争(1979年)が挙げられる。    

>中ソ対立は意外にも前章で述べた林彪元帥の墜落死で、沈着の方向へ向かう。    

>林彪の飛行機が落ちたモンゴル人民共和国には当時、ソ連が大軍を駐屯させていた。    

>中国はそれを「百万の軍隊で圧力をかけている」と反論しながらも、実力の面では歯が立たないと知っていた。    

>ソ連とモンゴル人民共和国軍が仮に19458月のように再び南下してきたら、大量虐殺で不満が頂点に達していた南モンゴル人も再度、呼応するのが分かっていたからである。    

>新疆ウイグル自治区の地政学    

>新疆ウイグル自治区も、モンゴル自治区と本質は同じである。    

>ウイグル人もまた独立を望み、ウイグル人のイミンノフが「5人委員会」を創設した。    

>「ウイグルスタン共和国」の成立を目指した。    

>彼はモンゴルのウラーンフーのような存在だ。    

1944年月、東トルキスタン共和国の建国を宣言する。    

>この国の国民と軍隊は主にウイグル人、カザフ人、モンゴル人である。    

>いわば三民族の合同革命で成立した共和国だ。    

>その幹部たちはみなソ連留学生で、モスクワも当時は態度を曖昧にしていた。    

>三民族は当然、ソ連邦への加入、少なくともモンゴル人民共和国との統一を望んでいたが、スターリンの対応は冷淡だった。    

>ソ連邦への参加が絶たれると、今度はモンゴル人民共和国との統一を狙う。    

>このことは日本ではあまり知られていないが、モンゴル人民共和国からすると新疆北部の併合は国家戦略上、ごく自然な発想である。     

>紀元前3世紀から紀元1世紀後半まで勢力を誇った匈奴の時代から、今日のカザフスタンや新疆一帯を指す西域は重要な場所だった。    

>モンゴル高原で南面して立つと、匈奴は西域を自国の右腕だと認識していた。     

>漢は匈奴によって絶えず脅かされており、武帝は張騫(ちようけん)を月氏に派遣して同盟を結び、東西から匈奴を挟み撃ちにしようと考えた。    

>当時も、やはり西域が重要な拠点だった。    

>古くから中国の西方に位置する中央アジア諸国は西域三十六国と総称されていたが、この3カ国を攻略して支配下に置けば匈奴の勢力を弱めることができるわけだ。    

>この地政学は現代にも適用できる。    

>ウイグル人、カザフ人、モンゴル人も同様の戦略を考えたし、モンゴル人民共和国も熱心に応じたわけだが、現実は断念せざるをえなかった。    

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) にして表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。  

 

(略)  

 

 

 

皇位継承  

>毎日新聞   >高市首相「女性天皇の否定は不敬に当たる」皇位継承巡り   >毎日新聞によるストーリー・   >7時間   

> 高市早苗首相は27日の衆院予算委員会で、皇位継承についての考えを問われ「過去に8人の男系の女性天皇がいたことは歴史的事実だから、過去の女性天皇を否定してしまうことは不敬に当たる」と述べた。   

 

それは現実肯定主義ですね。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。岩盤保守の地盤だけがある。だから改革が難しい。改革には非現実の信奉者が必要である。            

 

>自民党の小林鷹之氏への答弁。    

> 一方で「皇位が女系で継承されたことは一度もない」とも指摘。    

>皇統に属する男系男子による継承を適切とする考えが有識者会議の報告で示されたとの見方を示した上で「政府としても、私としてもこの報告を尊重している」と強調した。   

 

現実は一通りしかない。だから、現実肯定主義者だけの集まりならば、議論の余地はない。問答無用の世の中がこれからも続く。   

 

> 首相は皇室典範の改正に意欲を示しており、安定的な皇位継承のあり方が議論になっている。    

 

そうですね。皇室典範の改正には非現実の内容を加え進歩しなくてはならないでしょうね。男女平等は非現実の内容ですね。非現実の内容を現実の内容に変えるのは人類の創造力んいよるものですね。         

非現実の内容を現実の内容に加えると新しい世界が生まれる。夢と希望のある世界に近づく。   

皇室典範の改正の努力は日本人の努力の賜物であり、人類の進歩にも貢献することになる。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにしない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は他人の意見の受け売りの仕方ばかりを教えられて、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

団勇人氏  

>アサ芸プラス   >2030代の若者が嫌いな国は「ダントツで中国」世論調査が示した「中国の圧力に屈しない」怒りの声   >アサ芸プラスによるストーリー・   >14時間・   

>台湾有事に関する「高市答弁」をきっかけとして、中国が一方的に激怒している件は、若い世代の日本人の「中国観」を大きく変えた。    

>好きな国、嫌いな国の世論調査によれば、ダントツで「嫌い」なのが中国だ。   

 

そうですね。中華思想の国ですね。   

 

>特に20代から30代の若い世代が高市早苗首相を高く評価しており、日本の政治を変革させるパワーとなった。    

>しかし中国はいまだ、高市答弁を撤回せよと執拗に繰り返し、嫌がらせは止まっていない。    

>そもそも「高市答弁」は国会の質疑応答で出たものであり、発言の「撤回要求」は内政干渉にあたる。    

>中国が文句を言う資格は全くない。   

 

そうですね。   

 

>しかも中国は日本に内政干渉していることを爪の垢ほども悪いと思っていないばかりか、愛国教育の名の下に「日本人は罪のない中国人を虐殺し、侵略した極悪非道の国民だ」と説き、日本への憎しみを煽っているのが現実だ。    

 

そうですね。これは悪意に満ちた宣伝ですね。中国人は文化大革命のおりに自国民をもっと大量に殺していますね。   

 

>ところが日本の大手マスコミは、衆院選における自民党の歴史的勝利に対し、「日中関係を危うくしかねない」言い出したから、日本の国益を忘れたのかと怒りを覚えてしまう。    

>ここで思い起こすのは、日中国交回復(1972年)である。    

>当時、中国は世界最貧国のトップを競うほど貧しく、国民が1日に3度の食事を口にすることが最大の願いだった。    

>日中両国は共同声明で「永久の不戦」を謳い、「対等の関係」で協力し合うことを誓った。    

>ところが日中国交回復で双方が領土問題を棚上げすると誓った8年後の1978年、中国は武装した100隻以上の漁船で尖閣諸島を囲む領海侵犯に打って出た。   

>これに日本が異議を唱えたことで、当時の最高指導者・鄧小平は「このような事態は二度と起こさない」と誓い、「日中平和友好条約」が結ばれた。    

>しかし、平安は長く続かなかった。   

>中国が南シナ海、東シナ海に浮かぶ岩礁や小島を中国領土に組み込もうと、勝手に九段線(海洋権益主張のための、地図上の破線)を引き、支配地域を広げ始めたのだ。    

2010年には海上保安艇に中国の漁船が意図的に激突した「中国漁船拿捕事件」が起こった。    

>その後もベトナム領海、フィリピン領海内の島や岩礁を簒奪し、中国海警、解放軍艦艇、潜水艇、空母、戦闘機による日本領海への侵犯が連日、続いている。    

>要は日中関係の悪化は、常に中国側の身勝手な都合で始まったものだ。   

 

そうですね。   

 

>ともあれ、日中国交が回復してから半世紀が過ぎた。    

>日中関係の評価は立場によって変わるだろうが、ハッキリしているのは「日本は中国の圧力に常に屈してきた」ことだ。   

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) にして表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。 

 

>この歴史に若い世代が怒りの声を上げたのは、大いに理解できよう。    

 

そうですね。権威主義の独裁国家には自由がない。      

 

>(団勇人)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小川淳也氏  

東スポWEB   >中道・小川淳也新代表 立憲時代の「悪口ばかり」負のイメージぬぐえるか   >東スポWEBによるストーリー・   >14時間・    

>中道改革連合の代表選が13日に行われ、立憲民主党元幹事長の小川淳也氏が新代表に選出された。    

>元総務政務官階猛氏は敗れた。    

>小川氏は「党内の体制を整え、各党との連携を深め、具体的な成果で国民生活に貢献できるよう全力を尽くす」と意気込んだが、前途は多難だ。    

>中道は改選前167議席から49議席に減少。代表選は27票対22票となった。    

>党内には性急な新党結成や旧公明党出身の議員が比例名簿で上位となったことに不満がくすぶり、また、落選した候補者へのフォローなど課題が山積。    

>何より高市早苗首相率いる自民党とどう立ち向かっていくかという戦略の立て直しが必須となる。    

 

そうですね。   

 

>評判がいいとは言えない党名について、小川氏は「(中道と書いてくれた)1000万人余りの有権者の思いは軽視したくない」と改名には慎重。    

>立憲と公明の参院議員と地方議員は中道に合流していないが、「少し猶予を持たせてほしい」と合流は急がないとした。   

>巨大与党への対応は「野党第1党の主要な職責は権力の監視で、政権と対峙するのが基本線だ」と厳しい目で見ていくと主張した。    

>大敗した衆院選の総括が今後行われるが、よく指摘されているのが中道、特に旧立憲には「批判ばかりしている」とのイメージがある点だ。    

 

そうですね。自分に政治哲学がないのですから、論戦はできない。批判しかできないですね。

自分自身に考えがないのですから、もっぱら他人に対する愚痴を言うことになりますね。      

 

>このイメージは今に始まったものではない。    

 

そうですね。日本人は昔から無哲学・能天気でしたからね。伝統は恨み節専門ですね。   

 

>旧立憲関係者は「予算委員会などテレビ中継のある質疑では追及型の質問をする議員を決めます。   

>ある議員が追及型の質問をした際に、地元事務所にクレームが殺到したというのです。   

>厳しい言葉を使う追及型の質問が期待されていないムードは以前からありました」と明かした。    

 

そうでしょうね。攻撃一本やりですからね。建設的ではないですね。頭の上の蝿を追えと言われますね。   

 

>振り返れば2024年の東京都知事選に出馬した蓮舫参院議員にも「批判ばかりしている」というレッテルがついて回った。   

 

政治哲学がないのですから、批判しかできないですね。これは政治家にとって深刻な問題ですね。  

 

>中道の泉健太元立憲代表はこの日、Xに批判ばかりとの声があることを受けて「新党『中道』は、政策で競います」と投稿。    

 

政治には未来の先取りが必要ですね。だが日本人には世界観がない。だから政治家といえども一寸先は闇である。わが国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。         

 

>ムードを変えられるのか。    

 

為せば成る 為さねば成らぬないごとも 成らぬは人の為さぬなりけり。上杉鷹山

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において自分の理想に相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

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日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。実況放送・現状報告に終始する。現実の内容ばかりである。

わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。非現実の内容 (視点・論点) がない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。リーズン (理性・理由・適当) の価値は教養により高められる。我々日本人は他人の受け売りを学ぶばかりで、自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。社会に有能な指導者が現れない。 [木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひ獲得すべき知性の保証です。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴村裕輔氏  

ニューズウィーク日本版   >日本のイメージは「フジヤマ・サムライ・ゲイシャ」のまま。「正しい日本」を伝えるための「発信」とは?   >鈴村裕輔 アステオンによるストーリー・   >6時間・   

><日本文化の発信は「送り手」の意図を超えてズレる、常に多様な読み取りを生み出す営みである>

 

そうですね。   

 

>われわれが何らかの情報を発信する際、発せられた情報の内容に注目しがちである。    

>そこには伝えたいメッセージや発信者の意図が込められているため、送り手の側に焦点が当たるのも当然であろう。    

>しかし、情報発信には必ず想定される受け手が存在する。    

>「何を伝えたか」だけでなく、「何が伝わったのか」も重要なのだ。    

 

本人の意図した内容が相手に伝えられているかが大切ですね。   

 

>しかし現実には「伝えたかったこと」と「伝わったこと」が一致しないという事態は、日常生活でも頻繁に起きている。   

>そのずれを象徴するのが、1937年に制作された日独合作映画『新しき土』(監督:アーノルト・ファンク)である。    

>外国人に「正しい日本」を伝えうるという理想の下に企画されたこの作品は、実際には西洋の視点から異文化として日本を眺める構図を強調するものとなり、結果として目的は失敗に終わった。    

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

>以上のような観点から『アステイオン103号のを眺めると、きわめて興味深い表情が浮かび上がる。    

>特集の冒頭に掲載された千玄室と佐伯順子の対談「丸い茶碗のなかの地球」は、一見すると茶の湯の持つ伝統性や文化的な意義を強調しているかのようである。    

>確かに、裏千家の家元として千利休以来の茶の湯の伝統を継承するとともに、茶の湯を世界に普及させるために生涯を捧げた千玄室の取り組みが紹介される箇所では、ヘンリー・キッシンジャーリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの言葉を通して、日本の文化や伝統の象徴としての茶の湯の価値が示されている。    

>だが、「メタバースのお茶会」についてのやり取りの中で「今の若い人たち」の試みを「新たな挑戦によって、新しい表現を生み出してくれるはずです。」(37頁)と肯定的に評価するのは、伝えたい姿だけでなく、これからを担うであろう若い世代がどのように茶の湯を受け止めているのかを理解した一言である。    

>これは、戦前から戦中、そして戦後という価値観の劇的な変化を通して茶の湯を守り通してきたからこその発言でもあり、また世界各地への普及活動を通して、多様な価値観の併存を知悉(ちしつ)してきた千玄室ならではの観点でもあろう。   

>一方、フレデリック・クレインスの論考「」は、外国人だけではなく日本の人々も多くの場合自己の表象として用いる「サムライ」について、いかにして史実に基づいた像を確立すべきかを説く。    

>高度に情報化が進み、時間や場所を選ばず情報を得られる現在においても、「フジヤマ・サムライ・ゲイシャ」という古典的ともいうべき日本への理解は残り続けている。    

>むしろ、情報が多様化するからこそ、自分たちが抱きたい像を持ち続けているといえるかもしれない。   

>事情は日本の人たちも同じで、自らを「サムライ」、外国の人たちや企業などを「黒船」と呼称するような状況は、「フジヤマ・サムライ・ゲイシャ」という表現を裏側から照らし出しているだけにすぎない。    

>それだけに、クレインス論考が描き出す日本像の変遷は、「サムライ」そのものの像を直ちに変化させることは難しいものの、武士を取り巻く社会的、文化的な状況を丹念に検証し、情報として発信し続けることで漸進的ではあっても固定化された見方を解きほぐすために有効であることを明らかにしている。    

>あるいは、桑原ゆうの「日本音楽の本質とは」は、聞くという感覚に直接訴えかける音楽のあり方を通して、西洋の音楽と日本の音楽の対比や融合といった局面に留まらず、日本語の身体性という点へと至る、刺激に満ちた論考である。    

>自覚的であるか否かを問わず、言葉は話し手や話し手が属する集団の歴史と文化を含んでいる。    

>そして、言語は話し手が養ってきた身体技法と相互に影響を与え合っている。    

文化人類学者の川田順造が種々の論考で明らかにしたように、日本語は求心性を、印欧語系の諸言語が遠心性を備えていることは、「いってきます」が他所へゆくだけでなく出発点に帰ってくることを示唆する一方、同様の意味を持つ英語の 'I am going to somewhere'という表現がある場所へ行くことだけを示している点からも推察される。    

 

そうですね。日本は高文脈文化、印欧諸国は低文脈文化ですからね。   

[高文脈文化と低文脈文化の比較の例]

《高文脈文化》の特徴:  言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。/ 曖昧な言語 / 一般的な共通認識に基づく / 双方の合意に基づいた契約でも状況によって柔軟に変更される。/ 感情的に意思決定される/沈黙は不快ではない /

《低文脈文化》の特徴: 伝達される情報は言葉の中で全て提示される。/ 正確性が必要とされる言語  / 言語に基づく / 双方の合意に基づいた契約の変更は容易ではない。/ 論理的に意思決定される / 沈黙はコミュニケーションの途絶として不快 /

出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』  

 

>こうした点を考えれば、音楽の中に身体性を見出す桑原の指摘は、旋律や調子、楽器の使い方といった表層的な観点から日本の音楽や西洋の音楽といった検討を行うことの危うさを明快に示していることが分かるのである。    

>これ以外にも、国際博覧会橋爪紳也)、食(/)、あるいは華道(池坊専好佐伯順子)などについての論文や対談を掲載するのが、特集「発信する日本文化」である。    

>このような話題の豊かさは、それだけ日本文化に関する研究が多岐にわたるとともに、受け手も様々な視点から日本の文化に接していることを物語る。    

 

受け手の様々な視点でなく、話者の統一した視点の把握が大切ですね。   

 

>そして、日本において日本文化の研究や普及活動が発展してきただけでなく、日本以外の国や地域における取り組みが重要であることは、マテリアルターンやビジュアルターンの事例からも伺われる。    

>『アステイオン』の日本文化の特集は2014年に刊行された以来11年ぶりである。    

>当時の「共有される日本文化」が「発信する日本文化」へと能動的な題名に変化したことは、この11年間における日本の文化のあり方の推移を直観的に示す。    

>それだけに、次に『アステイオン』が日本文化の特集を組む時に果たしてどのような表現が使われるのかは大いに注目されるし、新たな表題を通して、われわれは日本文化のあり様をより的確に理解することができるだろう。    

>鈴村裕輔(Yusuke Suzumura

1976年、東京生まれ。    

>法政大学博士(学術)。    

法政大学講師などを経て現職。    

>専門は比較思想、政治史、比較文化。    

>主著に『政治家 石橋湛山』(中央公論新社2023年)がある。

>日本のイメージは「フジヤマ・サムライ・ゲイシャ」のまま...「正しい日本」を伝えるための「発信」とは?

© ニューズウィーク日本版   

>『アステイオン103号   

>公益財団法人サントリー文化財団アステイオン編集委員会[編]   

CEメディアハウス[刊]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レテプ・アフメット氏  

NEWSポストセブン   >日本に起きている「ウイグルでの弾圧が繰り返される予兆」とは、日本ウイグル協会会長が警鐘を鳴らす“中国当局の本質”《高市政権は一つの希望》   >NEWSポストセブンによるストーリー・   >9時間・   

> 中国・新疆ウイグル自治区に関する「ウイグル問題」。   

中国当局ウイグル自治区内のウイグル人に対して「テロ対策」などを名目に、大規模な同化政策、弾圧を行っている。    

>「ウイグルでの現状を放置すれば、いつか日本でも同様の事態が起こる」   

> そう警鐘を鳴らすのは、日本で問題の周知活動を行う「日本ウイグル協会」のレテプ・アフメット会長だ。   

> * * *    

> 協会発足当初から地道な活動を続けているアフメット会長だが、近年は日本でのウイグル問題への関心低下を懸念している。    

>首相が頻繁に変わってきたことを念頭にこう話す。    

>「ここ数年は日本の国内政治が不安定な状況が続いているように感じています。    

>やはり国内政治の安定がないと、国会などでもウイグル問題へ本気で取り組もうという雰囲気は生まれにくいでしょう。    

>さらにウクライナパレスチナの問題といった世界情勢の混乱もあり、日本を含めた各国は、今中国との大きなトラブルを抱えたくないという本音はあるはずです。    

> でも特に日本の人には、ウイグル問題についてどこか遠い国の、自分たちとは関係のないことだとは思わないでほしい」    

> 日本人が間接的にウイグル人の搾取に関わっているとされ、たびたび問題になってきたのは、日本企業や個人が強制労働が関わっているとされる産品を購入していることだ。    

>欧米のシンクタンクの調査では、ウイグル人の強制労働によって作られた部品などが、日本を含む世界中のグローバル企業に渡っているとの報告書が発表されている。    

> 協会ではこうした調査を元に、20204月、ウイグル人の強制労働に間接的に関わっていると見られる日本企業約30社を対象に質問状を送付した。    

>結果、電機大手など3社が過去に取引があったことを認めた上で、既に取引を停止したと回答。    

>しかし約半数の企業は無回答、もしくは経営方針についての回答をするのみだったという。    

>「欧米諸国ではウイグル人の強制労働の疑いのあるものを市場から排除していくという流れができており、法整備なども進んでいます。    

>そうなると中国は規制のないところとの取引へどんどんシフトしていくことになる。    

>そこで日本が一つの逃げ道になってしまっているわけです。    

>その状況を許してはいけない。    

> 国際社会では中国当局ウイグルへの弾圧は、集団を破壊する迫害である『ジェノサイド』として認定されている。    

>そういった深刻さを認識していたら、日本の人たちの人間性・性格からして、絶対に加担したくないと思ってくれるはずなんです。     

>企業活動だけでなく、投資や日頃の買い物にしても、その行動の一つひとつがどのような意味合いを持つのかぜひ考えていただきたいです。    

>そして日本のメディアには人々の判断材料となる情報を提供し続けてほしい」(同前)   

> そんな中、日本では昨年10月、高市早苗内閣が発足した。    

高市首相はウイグル問題に問題意識を持つ議員により設立された「日本ウイグル国会議員連盟」の副会長を務めている。    

>「高市先生はこれまで何度もウイグル問題を扱う会合に出席しており、日本の政治家の中でも特に関心を寄せてくださっていると感じています。    

ウイグル問題を扱ってくれる可能性が高い政権ができたことは、一つの希望だと捉えています」(同前)    

> 202511月の高市首相による「台湾有事発言」、12月の沖縄本島南東の公海上空で起きた航空自衛隊F-15戦闘機に対する中国人民解放軍J-15戦闘機による「レーダー照射事件」にも強い危機感を持ったという。    

>「多くの日本人が今回の一連の流れで、いかに中国そして中国共産党が真っ当な理屈の通じない集団であるか気づく良いきっかけになったのではないでしょうか」と語気を強める。    

>「私たちウイグル人は、何か罪を犯したとかではなく『ウイグル人として生まれたことが悪い』として弾圧されている。    

>過去、ナチスの時代に一度人類が犯してしまった、決して許されない過ちが繰り返されている。    

>おそらくこのまま日本を含めた世界がこの問題を放置すれば、数十年後にはウイグルの民族の独自性は失われるでしょう。   

> そしてこのやり方を許せば、中国当局"成功体験"として味を占め、ウイグル人が滅びた後は間違いなく日本を含めた周辺諸国に対して同じ残虐行為を繰り返すはずです。   

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。それで独断専行に陥りやすい。印欧語族インド哲学を経文 (漢文) にして表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。  

 

>現に中国は平気で日本の領海領土に侵入し、明らかに嘘と分かる主張を繰り返している。    

>これはウイグルでの弾圧が繰り返される予兆であると感じています」(同前)    

> アフメット会長はウイグルの変化が短期間で急激に起こった点も強調する。    

>中国人がウイグルに住み始めたのは約70年前。    

>ほとんどが軍人とその関係者であり、人口のたった5%に過ぎなかったという。   

>「それが今ではウイグル全体の人口の半分を超える勢いです。    

>彼らは人口がある程度増えてくると本質を出してくる。    

>このままの状況であれば、同じようなことを日本でも公然とやり始めるでしょう」(同前)    

> ウイグル問題に取り組んできた高市首相。    

解散総選挙の行方をアフメット会長もじっと見守っている。    

>(了。)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

停滞する根底  

>ダイヤモンド・オンライン   >そりゃGDP抜かれるわ「ドイツの管理職」と「日本の管理職」の決定的な違い   >志村ユリアによるストーリー・   >18時間・   

>日本経済が停滞する根底には何があるのか?    

>日本のGDP2026年にインドに抜かれて世界5位に転落する見込み。    

>ドイツに抜かれて4位になったのは23年だった。    

>名目GDPは物価や為替で左右されるものだが、日本の転落は円安のせいだけではないだろう。    

>日本の「罰ゲーム化する管理職」と、ドイツで進みつつある「パートタイム管理職」の実態から、労働と生産性について考える。   

>(ドイツ人ジャーナリスト 志村ユリア)    

>日本では「罰ゲーム化する管理職」    

>ドイツで注目される働き方とは?    

> ドイツと日本といえば国土面積がほぼ同じ、フォルクスワーゲントヨタ自動車を筆頭に製造業が盛んで、勤勉な国民性。    

少子高齢化が進むなど類似点も多いです。    

>しかし、違う点が多いのが「働き方」です。    

> 日本ではしばしば生産性が低いことや長時間労働が問題視されます。    

>日本人の多くがもっと労働時間を短く、効率的に働きながらも、賃金を維持または上げたいと考えています。    

> また、管理職不足も取り沙汰されています。    

>『管理職の実態調査 2025』(EVeM)によると、人手不足によって「業務負担が重い、または非常に重い」と感じている管理職が多数を占め、負荷が限界に近づいている実態が浮き彫りに。   

>「罰ゲーム化する管理職」「昇進したくない社員が7割」と言われる時代と述べています。   

 

そうですね。   

 

> ドイツでも管理職不足は課題です。    

>すでに、約28000人の管理職が足りない(2015年比で倍増)との統計もあります。    

>主な理由は、「重い責任に対して、見返りが少ない」と感じる人が増えているからです。    

>さらに、多くのベテラン世代が一斉にリタイアし、状況はより厳しくなっています。    

> そんなドイツは先進国の中でも「パートタイム大国」です。    

>定義の違いはありますが、パートタイム比率は40%前後(ドイツ労働市場・職業研究所)。    

>一方、日本のパートタイムの割合は30%前後(厚生労働省の毎月勤労統計調査)。    

>以前はドイツでもパートタイムは、「女性のための働き方」や「キャリアを諦めた人の選択」と見られてきました。    

>しかし、その考え方は近年、大きく変わっています。    

> ドイツでは管理職=フルタイム勤務が、もう当たり前ではありません。    

>パートタイムの正社員として働く男性も増えていまです。    

> ドイツ産業研究所によると、人をまとめる権限を持つポジションのうち約13%がパートタイムで働いていて、この流れは加速すると見られています。    

>パートタイム雇用は、優秀な人材を確保し企業を活性化させるための有効な仕組みとして考えられ始めているからです。    

メルセデス・ベンツドイツ銀行もパートタイム管理職を求人    

> ドイツのオットー(OTTO)・グループで財務・人事を統括するカティ・レーアヴァーさんは、管理職ですがパートタイムで働いています。    

>カタログ通信販売の老舗で知られる同社は一時期、経営危機に陥りましたが、現在は大手オンライン小売企業へと復活しました。    

>そうした自社の激動を、レーアヴァーさんは勤務時間を80%へと減らしたパートタイム管理職として支えてきました。    

> パートタイム勤務を始めた当初は、育児のために金曜日を丸一日休みにしていました。    

>現在は、12歳の子どもの生活時間に合わせて月曜と金曜の午後を休みにしています。    

>彼女は、「休みの日に会議を入れられることが続くと、正直ストレスでした」といいます。    

>管理職の仕事は、職場を出たら終わり、というものではありません。    

>部下のために、私生活の時間でも対応する必要があります。    

> だからこそ、はっきりしたルールが重要です。    

>何時まで働くのか、休みの日はどうするのかを決めておくことが欠かせません。    

>今では、働きすぎそうになると秘書が止めるという仕組みも作りました。    

>レーアヴァーさんは、「私はロールモデルでもある」と語ります。 [ロールモデル:目指すべ人間像]   

>管理職という仕事は、長く会社にいることよりも、新しく明確なルールを作ることが求められているのです。

> オットー・グループでは役職のレベルに関係なく、パートタイム管理職を募集しています。   

>ドイツの大手企業、メルセデス・ベンツドイツ銀行も同様に求人の動きが見られます。    

>週休3日制(週4日勤務)で生産性に変化はある?    

> では、働く時間が短くなると生産性にはどのような変化があるのでしょうか。    

>一例ですが、日本マイクロソフトが週休3日制(週4日勤務)を試験導入し、生産性向上やコスト削減効果を測定したプロジェクト(2019年実施)によると、労働時間を減らしたほうが、集中力が高まり生産性が上がったと報告されています。    

> この試験は管理職だけをターゲットとしたものではありませんが、労働時間と生産性の相関関係は、パートタイム管理職を考える上の参考になります。    

>パートタイム管理職にも落とし穴はある    

> パートタイム管理職にも落とし穴はあります。    

>管理職という責任感から契約以上に働いてしまう「パートタイム・トラップ(Teilzeit-Falle)」が一例です。    

>この罠にはまると、労働時間が普通の正社員並みで、賃金は低く、増えたのは疲弊だけという残念な結果となります。    

> こうした理由から、再びフルタイムに戻る例も見られます。    

>パートタイム採用を推し進めるには、企業側に労働時間の厳密な管理が求められます。    

> ともあれ、日本でパートタイムと聞くと多くの人はスーパーマーケットや飲食店での仕事を思い浮かべるでしょう。    

>時給は低く、責任のある仕事は任されにくいのが現状です。    

> しかし、パートタイム=能力が低いと考えて人材を切り捨ててしまっては、担い手不足の問題は解決しません。    

>責任のあるポジションにもパートタイムという選択肢は積極的に活用できるのではないでしょうか。    

 

そうですね。   

 

> パートタイムの効用は、人生の各段階に合わせて働き方を選べることです。    

>子育てや学び直し、家族の介護など、その時々の事情に応じて、労働時間を自ら決めることできる。    

>パートタイムとして働くことが、地位やキャリアを失わない社会が必要です。    

> 日本には、すでに制度の土台があります。    

>「時短」(短時間勤務制度)という仕組みです。    

>育休明けの女性が取得することが多く、フルタイムでなくても、正社員として働くことができます。    

>ただし、男性の取得は珍しいのが現状です。    

> 日本が今後いっそう深刻な人手不足になることを考えれば、働き方の変化は避けられません。    

>パートタイムが傍流ではなくキャリアにもなる社会は、強いと思います。   

 

そうですね。しかし序列人間の日本人には難しそうですね。   

 

>それを阻む壁は、文化や価値観でしょう。   

 

そうですね。義理(序列関係から生じる個人的な義務)と人情(私意・我儘・身勝手)のこの世界では難しそうですね。   

 

>本当の働き方改革は「時間」ではなく「評価」だ   

> とはいえ私は、パートタイム管理職や時短の男性への拡大を声高に訴えたいわけではありません。    

>日本には、「労働を自ら選択できる柔軟さ」が足りないのでは?と思うのです。   

 

そうですね。序列社会ではそのようになりますね。自らの選択は難しい。      

 

> パートタイムも当たり前に選べて、キャリアが続く社会。    

>特に、管理職においてそれが可能になれば、日本の働き方や生産性は大きく変わるのではないでしょうか。    

 

そうですね。管理の切り売りが出来れば、日本の社会も変わりますね。      

 

> そのためには、長く会社にいることを評価する仕事文化から、判断力や責任感、成果を評価する文化へと変わることが求められているはずです。   

 

そうですね。実績主義への切り替えですね。序列メンタリィティの人間はどうしたらよいのでしょうかね。   

 

>人手不足は、働き方の多様性へと昇華させるチャンスでもあるでしょう。   

働き方改革は、長時間労働だけでなく、評価の仕組みや文化も改革しなければ意味がないと思います。    

 

そうですね。序列関係は時間関係ではないですね。評価の次元が違いますね。      

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが日本社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会 (身分制度) の言い換えに過ぎない。明治を境にして一生変えられない身分制度が変えられる身分制度になったのである。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら寄与していない。人間としての順位の比較は没個性的でなくてはならない。個性を勘案したら序列判定に不公平が生じる。受験戦争は他人の受け売りを使った戦になっている。だから、我が国の序列競争の激しさは個性の育成の足かせになり、自己実現の妨げになっている。