日本人の性格 2/3

 

>1-3 日本人の温厚な性格

> 日本人は過度に自分を主張せず、自身の感情や憎悪を露にすることが少ないようです。

 

日本人には考え (非現実) の内容がない。だから、自己主張が苦手です。

 

>これは、どのような状況下にあっても事をそのままに保とうとする、日本特有の伝統があるからだと言われています。

 

お変わりのないことが何よりなことです。日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、我々が次の世界に移行するという発想法が想定外になっています。

 

> 余計な波風を立てずに、譲るところは譲り、我慢するところは我慢して上手にことを運ぶのです。

 

それは、自画自賛かもしれませんね。日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

 

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)

 

>これはまさに、かの有名な聖徳太子の残した「和を以て貴しと為す」という言葉通りです。

 

‘和’ もただのお題目では意味がない。我々には、和を保つ手段も磨く必要もありますね。

 

>1-4 周りの人に合わせる、気を使う性格

> 日本人は、正誤に関わらず周りに同調する人が多いです。

 

自己がないから、同調するしかない。烏合の衆と化すこともある。

 

>自身の考えとは異なっていても、周りの意見や行動に合わせます。

 

大同を求めて、小異を預ける (求大同 存小異) と行けば、良いですね。

 

>これは、日本特有の横並び意識や協調性からくるもので、社会で生きていくために必要なことです。>しかし、外国人の目には個性がない、自分を持たない日本人というふうに映ってしまうこともあるそうです。

 

本当に自分の考えの無い人も多いのではないでしょうか。

 

>1-5 本音と建前が存在する日本文化

> 日本は、ハイコンテクスト文化の国と言われています。>ハイコンテクストとは、会話において、逐一言葉にせずとも互いに相手の意図や考えてることを察し、通じ合うことを意味します。

 

高文脈文化のことですね。

 

> 日本人にとっては自然なことですが、外国人にとっては悩みのタネになることがしばしばあるようです。

 

そうですね。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>例えば、発表会を間近に控えたダンス教室で、先生が「明日は日曜ですが、スタジオを空けておきます。でも無理はしないでください、自由ですから。」と生徒に言いました。> 日曜日、日本人の生徒は、スタジオに来て練習をしましたが、アメリカ人の生徒は休みました。>そして次の練習日、アメリカ人の生徒がスタジオに行くと、日本人の生徒から「日曜の練習に来なかったね。どうしたの?」と聞かれました。>アメリカ人の生徒は、訳が分かりませんでした。>だって「自由だと言ったじゃない!」というものです。>建前の裏に隠された本音を読み取ることは、日本人には容易いことですが、外国人には難しいようです。

 

自己の考えを相手にはっきりと伝えられるようにならないと、日本人は国際人にはなれませんね。

 

 

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