超低学歴 3/8

 

>小野 日本企業のリーダーシップについて、ほかに冨山さんが問題だと思っていることはなんでしょうか。

>冨山 日本の経営者がよく使う言葉に「現場主義」というのがありますが、これが本当の意味での現場主義でなく、「現場迎合主義」になっていることが多い。>たとえばある業界で破壊的イノベーションがやってくるとします。>テレビを作っていればこれまで儲かっていたエレクトロニクス産業で、もはや新興国企業が台頭してきてテレビを組み立てていても儲からなくなるというようなケースです。>その時に、テレビの製造現場の人たちに「テレビの組み立てを止めようか」と聞いたら、誰も「そうですね、止めましょう」とは言いませんよね。>紙の新聞が売れないからと言って、「紙の新聞を止めるか」と言っても、紙の新聞を作っている人は誰も止めようとは言わないでしょう。>こういう現場の声を重視する経営者は、現場主義とは言いません、単なる現場迎合主義です。

>小野 苦しくても、現場の反対があっても、より収益の高いところに戦略的に事業をシフトしていく判断をするのが経営者。>それができないのならば、会社は消滅へと向かいます。

>冨山 そうです。>しかし、日本企業にはそういう決断ができない経営者が多い。  

 

そうですね。

日本人には意思がない。だから意思決定 (理性判断) には難渋します。だが、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意決定 (盲目の判断) ならできる。だが、これは危険であるから普段は自重していますね。  

 

>現場というのは、言い換えると競争の最前線です。>最前線で何が起きているかをリアルに認識することが大事なのは当たり前です。>それと現場の思いに引きずられて決断ができないことはまったく違う。

>「一億総玉砕」しないために

>冨山 たとえば戦場を見に行って、海戦の状況を確認して、飛行機を導入すれば勝てると考えるのは現場主義です。>一方で長年苦労している水夫さん、一生懸命に機銃操作している兵士の気持ちになって作戦を継続するのが現場迎合主義です。>これは本当の現場主義ではありません。>「現場主義」と「現場迎合主義」を混同している経営者が日本的大企業には、やたらと多いんですよ。  

 

そうですね。現場主義は現実直視ですが、現実迎合主義は忖度 (推察) に頼るものですね。理解と忖度は似て非なるものですからね。

 

>小野 終身雇用と年功序列を前提にすると、経営者は現場にいるひとの人生を背負っている気分になりますよね。

 

わが国は序列社会で成り立っていますからね。序列人間の自己の序列に対する帰属意識はとりわけ強いものがありますね。      

 

>現場迎合主義では、その瞬間はいい上司のようにふるまえるかもしれませんが、長期的には雇用を守ることはできません。 

 

そうですね。鎮痛剤か麻薬のように一時的に作用しますね。  

 

>冨山 ずっと苦労して頑張っていることを知っているわけですから尚更なんでしょうね。>現場の人たちの貢献で日露戦争に勝った、現場の人たちのおかげで高度成長に貢献した……。>その思いはわかりますよ。 >成功体験があるので、それを支えた現場の気持ちに寄り添ってしまう。>ただ、ビジネスという戦争の現実はもっと厳しい。>そういう現場の情念を合理が超えていくのです。>中途半端に現場の情念に寄り添うと悲劇が起こります。  

 

そうですね。浪花節の時代は終わりましたね。     

 

>だから、戦局が変われば水兵さんたちを船から降ろしてあげればいいわけでしょう。>やる気と能力がある人には、パイロットになれよって言ってあげればいいわけです。>いま多くの日本企業がこうした課題に直面しているわけですが、まだおカネに余裕がある段階で早く組織転換をしたほうがいいと思います。>改革しようとすると、その瞬間はすごく現場にストレスがかかります。  

 

何事もお変わりのないのが何よりのこと’ ですからね。   

 

>しかし、それを恐れていては手遅れになってしまうのだから、タイミングは早ければ早いほうがいい。   

 

日本人には意思がない。だから、意思の内容を意識する人がいない。日本人の行動は事の次第と成り行きにより自然に開始される。だから、行動の開始が遅れます。      

フランク・ギブニー (Frank Gibney) 氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。 ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)  

 

 

 

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