自粛 1/2

 

>356392 なぜ日本人は「自粛しない人」をこれほど攻撃したがるのか  >大崎 ( 26 会社員 ) 20/05/07 PM06

>目に見える「正解」をもとめて、そこから外れる人を攻撃する。

 

現実の内容には正解が一つ存在する。それは頭の外にある。だから、見ることができる。見ればわかる。Seeing is believing. 考える必要はない。楽ちんである。

非現実 (考え) の内容には正解が幾らでもある。考えの内容は人によりまちまちだからである。それは頭の中にある。だから、見ることができない。その内容を知るには文法に従って文章を理解しなければならない。それは骨が折れる仕事である。考えの内容は文章になる。矛盾を含んでいない文章の内容は全て正しい考えを示している。だから、正解は幾らでもある。選択肢は多い。

 

> 誰しもがコロナ後の社会の「正解」が見えない中、今後必要なのは何が事実化を自らの頭で見極める力。

 

現実・事実の内容は一つしかありませんね。だが、考えの内容は幾らでもある。だから、それらは全て選択肢となる。よりよい選択肢も人によりまちまちである。だから、指導者の任は重い。

 

> 以下(リンク

>■自粛しない人は「犯罪者」「極悪人」とみなされる

>「外出・接触8割減」のスローガンのもとはじまった、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための「自粛」要請。

 

いよいよ始まりましたね。指導者が自己の意思を示す形式ではなくて、国民が意思をしめす形式ですね。わが国の指導者は優柔不断・意志薄弱なのかな。

 

>市民社会はその要請に応じ、街は人どおりが少なく閑散としており、閉ざされた店の入口には「一時休業」の張り紙が目立つ。> 現在のところ、政府や自治体から発信されているのは、あくまで「自粛要請」というお願いベースの申し出に過ぎないものである。

 

そうですね。日本人はお願いが好きですね。神様にもお願い、人様にもお願いですね。自己の意思を示すことがない。他力本願・神頼みか。

 

>「お願い」である以上、本来ならばこちらにはその申し出を断る自由があるはずなのに、そのお願いを聞き入れなかった者は、まるで社会の法秩序を逸脱した犯罪者・極悪人であるかのようにみなされ、市民社会から「私刑」される。

 

それは困ったことですね。わが国は、ご唱和の世界ですからね。犯罪者・極悪人の傾向は止まないでしょうね。

自由とは、意思の自由の事であります。だが、日本人には意思がないので、自由そのものにも意味がない。そこで、’不自由を常と思えば不足なし’ の状態となっています。

意思は未来時制の文章内容である。しかるに日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思 (will) がない。それで、優柔不断・意志薄弱に見えます。

 

>そのような相互監視的な同調圧力によって、緊迫感と閉塞感が高まりつつある。

 

そうですね。戦時中のような感じを受けますね。

 

>■どれだけ「悪」を叩いても、安心はできない

>人びとはいま「悪」に対して過敏に反応し、攻撃性を高めている。

 

そうですね。人々は勧善懲悪の話は分かりがよいですね。

 

>「悪」をみんなで攻撃することによって、自分たちは相対的に「ただしい」ことが確認できる。>それで安堵する。>自分たちの社会秩序や社会規範がまだこの社会に有効なのだと。

 

人の振り見て我がふり直せ’ ですかね。日本人の場合は現実が未来に対する目標になっていますね。

 

>政府や自治体の「自粛要請」に従わない人を過剰にバッシングしたり、感染した人や感染が疑われる人の「落ち度」を探して晒しあげ、差別したりする「コロナ自警団」「コロナ八分」は、まさしくいまこの社会から、人びとがよりどころにしていた安心感が急速に失われていることを示唆している。

 

そうですね。神様の ‘自粛要請’ には ‘祟り’ (仕返し) がありますからね。信者は決して自由ではない。緊迫感と閉塞感があって恐ろしい。

 

 

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