鬱陶しい会話 2/2

(続く)

> 「すごい伝え方」の真意は、自分軸に従い、相手が求める回答を察しながら、相手が幸せになるための方向へ導いてあげること。

 

そうでしょうね。’察し’ ではなく ‘理解’ が必要でしょうね。

 

>はっきり主張することだけが正解ではありません。>そこは決して間違えないようにしましょう。

 

日本人は文章でなく、ばらばらな単語だけで会話を済ませることが多いので、ハッキリとした主張は難しいでしょうね。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

> 相手のために遠慮をすることは、かえって不親切になる 

 

忖度 (推察) による遠慮ですね。

 

>歯科医師として、患者さんに治療のプランを提案するとき、極端に言えば、一番高額なプランが患者さんにとってベストなプランです。

 

必ずしも高額がベストとは言えないでしょう。

 

> 歯並びが悪いと思ったら、歯列矯正したほうがいいと思うし、女性ならホワイトニングしたほうが間違いなくキレイになります。> 大きな口を開けて笑ったときに、銀歯が並んでいるのはカッコ悪いと思うのは、歯科医師として当然のことです。

 

そういう場合もありますね。

 

>だからこそ、患者さんのお口を100点にしてあげるためのプランを、私は躊躇なく提案します。>それがたとえ150万円であろうと、200万円であろうと、迷わず患者さんに提案しています。>それが患者さんのためだからです。

 

それを聞いて患者さんが恥をかく場合もあるのではないでしょうか。

 

>しかし、多くの歯科医師は、はっきり言わないことがあります。 > 「虫歯の治療に行っただけなのに、ホワイトニングを提案された」とか「あの歯科医院は高すぎる」と誤解されたくないからです。

 

誤解は避けなければなりませんね。

 

>そんな口コミを気にするあまり、何も言うことができず、ただ虫歯の治療だけして終わりというのは、なんとも無責任な気がしてなりません。

 

そうですね。忖度に基づく無責任ですね。

 

>このように、歯科医師という立場ですら患者さんに対して気を使い、本音を言いにくいことが多くあるのです。

 

本音 (私意・我儘・身勝手) は良くない。自己のリーズン (理性・理由・適当) を述べるべきですね。

 

>もちろん、私は高額なプランを患者さんに押しつけたりはしません。

 

押し売りはいけませんね。

 

> 金額的に折りあわなそうであれば、患者さんの経済事情に合わせながら無理のないプランを再構築しますが、それでもなお、患者さんのことを思うと100点の治療をしたいと思ってしまう自分がいます。

 

それはありますね。

 

>それなのに、気遣いをすることで、患者さんにプランの提案ができない歯科医師は、一見患者さんの気持ちを受け止めているように考えているかもしれませんが、本当の意味では患者さんの将来にとっていいことではないと私は考えます。>つまり、親切そうに思えても、それがかえって患者さんのためになっていないのです。> 相手の意見に合わせることを優先してばかりで、自分の意見を伝えないのは、不親切であり、やがてそれは不信感にもつながりかねません。

 

そうですね。

 

> 「相手がどう捉えようと、私はこうしたほうがいい」という、自分軸に沿った明確でぶれない言葉からは、やがて信頼と愛情が生まれます。

 

そうであってほしいですね。

 

>これは、歯科医師と患者さんという関係だけではありません。>たとえば、あなたが誰かに何かを相談されたとき、どのような姿勢、態度で話を聞いていますか?  >相手に共感することを優先し、無意識のうちに、自分の意見にはフタをしているという方も多いのではないでしょうか。

 

それはありますね。

 

> 相手の気持ちを傷つけまいと、相手の意見に共感することは、優しいように思えます。>しかし、長いスパンで見れば、それはむしろ無責任であり、相手にウソをついていることになるのです。 > 伝え方に、正しいも間違いもありません。

 

効率の良い伝え方は、仕事の能率を高めますね。

 

(略)

 

 

 

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